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バレーボールマガジン>インタビュー>ザムストPresents”Vの肖像”vol.5 小野寺太志(JT広島)「東京五輪ベスト8はそれまでの積み重ねの結果。パリではメダルをつかみたい」後編

インタビュー

2022-03-23 12:32 追加

ザムストPresents”Vの肖像”vol.5 小野寺太志(JT広島)「東京五輪ベスト8はそれまでの積み重ねの結果。パリではメダルをつかみたい」後編

V1リーグ 男子 / 全日本代表 男子

シニア代表デビューはリオOQT敗退後

シニア代表にはじめて登録されたのは、大学2年の2015年のとき。このときはいわゆる登録だけで、合宿に参加したのは翌年の2016年から。リオ五輪のOQTで負けたあとから初めて試合に帯同した。OQT敗退のあとのワールドリーグはなかなかモチベーション的にはきつかったのではないかと懸念したが、小野寺自身は初のシニア代表での試合にワクワクしていたという。「どんな感じなのかな。練習何するのかな」と。

「祐希や山内さん、関田さんや健太郎とかいたから。近い人達がいるから、一人になることはないだろうと。みんなはやっぱりメンタルに来てましたね。五輪の出場権逃して。雰囲気やばいなと。僕がちょっとでもヘマしたら殺されるんじゃないかって。行ってワクワクでしたけど、みんなはやはりモチベーションも落ちてる感じでした。でも練習や試合でも、やったらやったでみんなアツくやるし、ピリピリして緊張感あったので、行けてよかったなと思いました」。と初のシニア代表は有意義だったようだ。

本格的に呼ばれるようになったのは中垣内ジャパンとなった2017年から。この年はワールドリーグも秋のグランドチャンピオンズカップにも出場した。もっともこれはいわくつきで、中垣内監督の「石川祐希以外2メートル計画」のために、小野寺はなんとサイドアタッカーとしてグラチャンに参加したのである。

高校の時はレフトだったから大丈夫だったのかと聞くと、あのときのレフトは変則的なものでサーブレシーブはしてなかったので、サーブレシーブは初めてで、とてもつらかったようだ。「心が折れそうになりながら毎日過ごしてましたね」とほろ苦く振り返る。

そしてブラジル戦のスタメンで起用され…もちろんガチのブラジル代表のサーブを急造レフトが受けきれるわけもなく、グラチャンは全敗で終わった。「あの謎のレフトはあれっきり?」と聞くと「あれっきりでしたね」と小野寺は苦笑した。ただ、小野寺としてはミドルの4番手よりサイドでワンブロでも試合に出れるんだったらやる、という思いだったのだそうだ。もちろん本来のポジションと違うことに抵抗はあったが、「あの経験が『なんだったんだろう』ってことではない」とのことだった。「逆にいい思い出です。そんなサイドやって1ヶ月ちょいなのにガチのブラジルと戦えるなんて。びっくりしましたもん。朝のミーティングでいきなり言われて。え?みたいな。ここで俺? もうちょっと違うタイミングでスタメンあったでしょって。そしてボコボコに(苦笑)」。

アジア大会結団式にて、母と

次の2018年に小野寺はアジア大会組だったが、髙橋健太郎が怪我をして、急遽呼ばれて世界選手権に合流した。アジア大会のときもあまり調子が良くなくて試合に出られていなかったので、呼び出されたときは驚いた。アジア大会で試合に出るのはVリーガーで、ミドルブロッカーなら出耒田敬と傳田亮太がほとんどだった。アジア大会で優勝を目指すといっても、かたや世界選手権やネーションズリーグを戦っているチームがあるため、どうしてもBチームなんだという意識にはなってしまった。その中でさえも試合に出れなくてすごく辛かったという小野寺。だから早くチームに戻って練習したいと思っていたところ、急に呼び出されて「世界選手権に合流してくれって言われてるから」。「『まじかよ! このタイミングか!』と。断る理由は何もないので『わかりました』といって行ったら李さんが怪我して、スタメンで出ることになって『おいおい、システムも何もわからないのに…』と」。筆者は世界選手権の方を取材していたのだが、いきなり小野寺が現れたときは結構びっくりした記憶がある。大会直前に西田有志が故障して、彼は大会途中で復帰したものの、髙橋健太郎と李博が相次いで怪我をして「一体どうするんだ?」と思っていたところ、突然小野寺が出場したのであっけにとられた。本人が言うようにシステムにもなれていないためにどこか借りてきた猫のような雰囲気ではあったが、それでも3大大会の一つである世界選手権に出場した経験は大きかったと思われる。

2019年にはメインのミドルブロッカーとしてネーションズリーグで出場を重ね、それが「すごく自信になりました」という小野寺は、秋にはワールドカップで地元広島での大会であったこともあり、活躍して人気も沸騰した。
「練習だけやっててもいきなり試合でパッと上手くやれるタイプじゃないんです。試合に出て、色んな経験を積んでどんどんよくなっていくタイプ。その試合経験が、ネーションズリーグでもアジア選手権でもたくさん出られて、試合経験を積めたことがよかったし、ワールドカップでもチームとして4位。メダルを目指していたので一個届かなかったのは悔しかったですけど、4位まで行けたのはなかなかの手応えがあった」。

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