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インタビュー

2023-02-02 17:40 追加

カーテンコール ”ブロックマスター”富松崇彰さん(東レアローズ)「大学でミドルにコンバートしたことは結果としてよかった」前編

SV男子

――リーグ優勝した時の思い出は。

最初優勝した時(08/09)は、2年目で。内定1年目で決勝までいったけど負けて決勝で勝てないのがすごい悔しい…それが積もり積もってあそこで爆発したみたいな感じで優勝できたっていうのがあった。あの時はジャンプサーブ打ってましたが全然入らなかったですね。セミファイナルくらいから全然入らないなって思って。もういいわって思って打ってました。内定1年目は結構入ってたんですが (笑) 優勝した時はやっと勝ったかって感じでしたね。2年連続決勝まで行って負けてるから、2年もあったのに負けた…みたいな、3回目負けたらないな…って。そこで勝って、やっとって思いましたね。

2回目の優勝(16/17)は、這い上がった感じはありましたね。2年前は入替戦行って、その前はファイナル6いって、勝ったけど負けた…みたいな感じになって。また同じ状況のファイナル6で今度は勝って、決勝でも勝って…。1回目の時は決勝だけ勝てばいいって感じでしたし、先輩達に勝たせてもらったなっていう感じだったんですけど。2回目の時はもうチームで最年長だったんで、チームを引っ張っていく中でどうやったら勝たせられるかっていうのができたのが良かったなって思いはありますね。

――東日本大震災後すぐの黒鷲旗で優勝した時は。

あの時はもう、誰もが大変な時期で何をしててもこんなことしてていいのかなって思ってると思うんですけど。ただもうやるしかないよねって気持ちでいたと思います。

――新人時代に大きい影響を与えた選手は。

東レで若い頃は夏場全日本行って、試合でこっちに戻ってってやってて…。やっぱ当時キャプテンの篠田(歩)さんのキャプテンシーとか気持ちとか、決める勝負強さとか、すべてが凄すぎて、この人みたいになりてえって。タイプはちょっと違いすぎて、真似できるところが気持ちくらいしかないなってとこなんですけど(笑) 篠田さんから、気持ちとか試合のコントロールとかを見た。全日本行ったら、当時同じような身長で当時技術力が僕より遥かに上の松本(慶彦)さんがいて。この人の技術だったら盗めそうだなって。どうしていったらいいんだろうっていうのはそっちで聞いたり真似してました。
タイプが全然違う2人を見本にできたことが、若い僕にとってはかなり良い影響を与えてくれたんじゃないかと。

――北京五輪も含めて代表について。

ワールドカップと世界選手権は出てますが、当時は試合にそんな出てないのかな。山村さんと松本さんが疲れたらいってくれみたいな。その時は五輪に行けなくて悔しいなとか思ってたんですが、今思ったら行けなくて当然って思いますね。あの時の僕の力を考えたら。ブロックしかなかったですし、他に何の動きがあるかって言われたら…若くてそんなに影響力が出せるところではないし。グラチャンの時は僕自身もいろいろできるようになってきて、あれくらいのことが五輪予選あたりでできればって感じでしたが、まあできなかったものはしょうがない。あの年代はアジアでイランと競ってましたが、あんまり負けなかったな。イランとはよく良い勝負したなっていうのは覚えてますね。

代表で一番印象に残ってる試合は、いつかのアジア大会で韓国とやってフルって勝った試合ですね。韓国は(メダルを獲得すると兵役免除など)いろいろ懸かってるからすごい強くて、僕もそれを知ってるから絶対に負けたくねえって(笑)それで勝ってやったんで、それが一番印象に残ってます。

写真:坂本清、黒羽白 FIVB

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