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会見・コメント

2023-03-18 07:00 追加

WD名古屋・山近哲「2年ほど前からレギュラーに返り咲くことができてそこで自信にもつながりましたし、バレーボールを続けてきてよかったなと思った」引退会見

WD名古屋・山近哲 引退会見

SV男子

3月12日にエントリオ(豊田合成記念体育館)(愛知県)で行われたバレーボールV1男子、WD名古屋vsパナソニック戦後に行われた5月の黒鷲旗後で引退をするWD名古屋・山近哲選手の会見の模様をお届けする。

■ウルフドッグス名古屋
●山近哲選手(ミドルブロッカー)

僕がバレーボールを始めたのは(吹田市立片山)中学3年生の春です。
一番中途半端な状態で入試を控えているときに体育の授業中に顧問の先生に呼ばれて「バレーやらんか」と言われてそこから「考えます」と言ったらシューズを買ってもらってバレーボールを始めました。
そこから物事がうまくいったというか推薦を頂いて(星翔)高校に上がり、高校では大阪のベスト4で全国は経験できませんでしたが活躍することができたので色々声を掛けて頂いて無事近畿大学に入ることができました。
近畿大学では関西リーグで2連覇、3連覇することができたのでこうして豊田合成さんに入ることができたのではないかと思います。
1、2年目は試合に出る機会はあったのですが、怪我をしたり僕のライバルである傳田(亮太)選手が入ってきて(山近選手2012年、傳田選手2014年入団)チャンスを奪われたりしました。
そこから6年ぐらいはなかなか試合に出ることができなかったのでつらい思いをしました。
2年ほど前からレギュラーに返り咲くことができてそこで自信にもつながりましたし、バレーボールを続けてきてよかったなと思いました。
昨シーズンも半分か1/3ぐらいかレギュラーとして出させてもらって頑張っていましたが、今シーズンはチャンスがなかったので引退をする決意をしました。

――近畿大学のときVチャレンジリーグ(近畿クラブスフィーダで2009/10~2011/12シーズン)に出場しているが。
山近:大学3年生の時に近畿クラブスフィーダでプレーをさせて頂いて、その時はオポジットでした。
こちらで声をかけて頂いたときはミドルブロッカーでやろうと思っていてオポジットには外国人選手がいるのでより続けられるのはミドルかなという思いで転向しました。

――アンディッシュ(クリスティアンソン)監督就任のときからプレーをし始めたが。
山近:はい。丁度アンディッシュ就任のときからプレーを始めました。

――いきなり英語でコミュニケーションをすることになって。想定と違っていたか?
山近:僕が内定の時に声をかけて頂いた(安原貴之)監督が近畿大学出身だったのでこれからバレーが一緒にできるなという話をしていた矢先にアンディッシュ監督が来られました。
「あれ、一緒にプレーができないじゃん」というのが最初の印象でした。
アンディッシュ監督が来られていきなり英語となってこちらも全然英語がわからないのでお互いにコミュニケーションを取るのが難しかったです。
アンディッシュ監督も凄い「なんで伝わらないんだ」というストレスがあったと思います。1年目はジェスチャーとかでコミュニケーションを取っていました。
その頃は最初は通訳もいなかったので選手も監督も凄くストレスがあったと思います。

――思い出の試合は?
山近:一番印象にあるのはいつかは覚えていませんが福岡であった堺戦です。
フルセットのデュースになって僕がサーブで1本打ってダイレクトで返ってきて決めました。
それでこちらがマッチポイントになりました。
次のサーブを打って高野(直哉)選手が打ってきましたが(僕が)ディフェンスをして返って、もう一度高野選手が攻めてきたときに高野選手がストレートを打ってアウトし試合が決まりました。
僕がディフェンスをしたから勝利をした感じになりました。

――攻撃ではなく守備をした試合が思い出になっている?
山近:やはりミドルなので守るシチューエーションがほとんどありません。そこで活躍できたというのが印象があります。

――外から見ているとWD名古屋のミドルブロッカーの選手は、ブロックの際のサイドへの寄りが速くスイングブロックで組織的なブロックをする印象があるが、アンディッシュ監督になってから徐々に身に着けた感じか?
山近:アンディッシュ監督がブロックが好きでコミット(アタッカーの動きに合わせて反応)ではなくセッターの動作を見てブロック(リードブロック)という戦術をしたいという思いがありました。
練習ではずっと反復をしてやっていました。ブロック練習ではコミットよりサイドに動く練習、セッターを見てどこに上げるかを捕捉して動くというのをやっていました。

――Vリーグに入ってからミドルブロッカーに転向をしたということだがブロックに関する魅力は?
山近:Aパスが返ったときにどれだけサイドの攻撃についていけるかというところがあります。CパスであればAクイックはありません。
そうするとサイドになり、パス(セット)も高くなるのでついてはいきやすいです。
Aパスのときはサイドは早くなります。そういう時にいかにサイドの選手に対してブロックの間を締めれるかがミドルの仕事だと思っています。
そういう時にちゃんと読めて間を締めて止められたときが一番うれしいです。

――ミドルブロッカーの魅力は?
山近:活躍が目立ちにくいポジションですが、僕としては(ブロック)タッチを取ることも大事な仕事だと思っています。
目立たないところでどれだけ活躍するかがミドルの仕事だと思っています。

――一方スパイクについてもアタック決定率が高いが(2021-22 59.6% 2022-23 49.4%)スパイクに対する思いは?
山近:ブロック、サーブよりスパイクに一番自信がありました。そこはほかの選手に負けないぞというどこで勝負するのかというときに打ちだしの速さが僕の武器だと思います。
ミドルブロッカーは(相手が)コミット(ブロックをしているとき)は別ですが、リードをしているときにいかに(ブロックが)上がってくる前に決めるかというのが僕の仕事だなという風に取り組んでいました。

――昨シーズン活躍をしていたので、今シーズンに引退発表をされたのは驚きだったが引退を決意したきっかけは?
山近:今シーズン入ってから怪我や、体調をよく崩してしまっていました。
バレーボールにあまり取り組めていないなと思っていました。
年齢的にもプレーをしないと凄くパフォーマンスが落ちます。
今の実力をキープすることはできますが、向上させていくのは難しいかなと思い、考え始めました。

――今後について。
山近:(5月の)黒鷲旗迄はバレーを続けて、それ以降は社業の方に専念しようと考えています。

――バレーボールは自分にとってどのようは存在だったか?
山近:一人ではできないスポーツだと思っています。
一人がどれだけ良くても勝てません。チームでいかに勝つかが大事です。
周りとのコミュニケーション、チームワークを大切にしていきたいと思います。

写真:黒羽白

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