2026-10-16 12:06 追加
【特別インタビュー】SVGレーヴィス栃木・元代表の河野裕輔監督が語る「バレー人生の原点と、自由な発想で挑む指導論」
R栃木 河野裕輔監督インタビュー
SV男子 / V男子

SVグロースに参戦するレーヴィス栃木の指揮を執る河野裕輔監督。小学校でのバレーボールとの出会いから、中学での思わぬ遠回り、大学・JTサンダーズ時代劇的な意識改革、全日本選出、そして現在の指導方針に至るまで、自身の歩んできたバレーボール人生を存分に語っていただいた。
【小学校時代】「でかかったから」始まったバレーボールと全国準優勝
——今回はほぼ初めての本格的なインタビューということで、バレーボールを始めたきっかけまで遡ってお伺いします。
河野裕輔監督(以下、河野): だいぶ遡りますね(笑)。小学校5年生の時ですね。元々体が大きかったので、監督や周囲からずっと「バレーボールをやりなさい」と言われていたんです。
ただ、当時の指導って厳しかったじゃないですか。書けないような厳しい練習がたくさんあった時代で……(笑)。だから最初は絶対にやりたくなかったんですよ。でも、なぜかある時「わかりました」って言っちゃって。そこからどっぷりバレーボールにハマることになりました。
小学校6年生の時には「ライオンカップ(全国小学生バレーボール大会)」に出場して、全国準優勝を果たしました。今思えば、あの小6の時が自分の競技人生のピークだったかもしれません(笑)。
【中学校時代】一度はバレーを離れ「吹奏楽部」へ!? 奇跡の復帰劇
——中学進学後のエピソードがかなり意外だったと伺いました。
河野: 実は中学に入ってから、一度バレーボールをやめたんです。あの厳しすぎる世界には二度と行くもんかと思って、適当に(?)吹奏楽部に入りました。
——吹奏楽部ですか!
河野: コントラバス(ウッドベース)を弾いていました。とりあえず「殴られない部活」へ逃げたわけです(笑)。
でも、夏休み前に1つ下の後輩たちの小学生大会の茨城県予選を見に行ったら、熱い試合を見て急にバレーがやりたくなってしまって。すぐに吹奏楽部の先生に「すみません!」って謝ってバレー部に復帰しました。実質半年間くらいの空白期間があったんですが、そこから中学のバレー生活が再スタートしました。
中学の先生も厳しかったですが、理不尽な厳しさではなかったので楽しくプレーできましたね。中学3年では関東大会まで進みました。全国大会出場はあと一歩のところで逃してしまいましたが、都道府県対抗のJOC選抜(さわやか杯)に選んでいただき、そこで1回戦敗退したにもかかわらず全中候補(代表候補)に選出していただいたんです。当時はサーブレシーブが得意で、レシーブをするのが大好きだったんですよ。
【高校・大学時代】全ポジションを経験し、意識を変えた「恩師との出会い」
——高校は栃木県の足利工業大学附属高校(現・足利大附高)へ進学されますね。
河野: 越境入学したんですが、高校時代は本当に大変でした。地元開催のインターハイで華麗に1回戦敗退をかましたりして(笑)。ちなみに当時はミドルブロッカー(センター)もやっていました。高校ではセッターを含めてリベロ以外の全ポジションを経験させてもらったので、結果的に何でもこなせるオールラウンダーになれましたね。
——その後、中央大学へ進学されます。大学で大きな転機があったそうですね。
河野: 大学1〜2年の頃はバックアタックを打ち始めて、3年に上がるときにオポジット(スーパーエース)に定着しました。そして一番の転機は、3年生の時に相模原クラブや中大で指導されていた中村監督が戻ってこられたことです。
中村先生からは「自由にやるバレーボール」を教えてもらいました。それまでの「ガミガミ言われてやるバレー」から、「自分で考えて動く」「試合中のインスピレーションを大事にする」というスタイルへ価値観がガラッと変わったんです。指示通り動く歯車(ハグルマ)になるのではなく、各自がファンタジスタとしてコートで判断する。この時の経験が、今の僕の指導観に直接つながっています。
【JTサンダーズ〜全日本】パルシン監督の衝撃と、世界の「ブロックの壁」
——大学卒業後はJTサンダーズ(現・JTサンダーズ広島)に入社し、新人王獲得や全日本選出などトップレベルで活躍されました。
河野: JTに入ってから、パルシン監督が就任されたのが第2の大改革でした。それまでの日本のワンマン練習みたいな孤立した練習ではなく、実践的なゲーム形式を中心としたシステムバレーを徹底されたんです。
最初は「気合いと根性」で育ってきた日本の選手には「なぜこのシステムで繋がるのか・勝てるのか」が100%理解しきれていない部分もありましたが、個人の力ではなく「システムで戦う」という世界標準の戦術を叩き込まれました。
——全日本(日本代表)に選出された際の思い出はいかがですか?
河野: 正直、当時の日本代表の練習やシステムには戸惑いもありました。JTで最先端のシステムバレーを経験していた分、「なぜこの練習をするのか」目的が見えづらい部分もあったんです。
海外遠征でイタリア代表のデネキンやカサゴフ、あるいはオーストラリアのハワードといった海外勢と対戦した時の衝撃は忘れられません。目の前に立ちはだかる外国人選手の3枚ブロックの絶望感(笑)。指高(手を伸ばした高さ)がネットと同じくらいの僕が真っ向から打っても、天井に向かって弾き返されるレベルでした。世界の高さとパワーの凄まじさを身体で痛感した貴重な経験ですね。
【レーヴィス栃木 監督へ】自由な発想と主体性を伝える指導者として

——そうした選手・代表キャリアを経て、現在はレーヴィス栃木で指揮を執られています。どんなチームを目指していますか?
河野: 海外のトップ選手や指導者が日本に入ってきたことで、現在の男子日本代表含め、日本のバレーボールは本当に素晴らしい方向へ進化しています。
僕が目指すのは、かつて恩師たちから学んだ「選手が自ら考え、インスピレーションを働かせて自由に戦えるチーム」です。ただ指示に従うだけのバレーではなく、コート上で選手一人ひとりがアイデアを持ってシステムを動かしていく。
初めての監督業ですが、自分が歩んできた回り道や経験のすべてを還元し、レーヴィス栃木と共に成長していきたいと思っています。
【今季の目標とメッセージ】「地域と共に熱くなり、魅せるバレーを」
——最後に、チームとしての今季の目標と、熱いご声援を送るファンや地域の皆様へメッセージをお願いします。
河野: 新たなカテゴリー(SVグロース)での戦いとなりますが、目標は明確に「全試合で自分たちのスタイルを貫き、勝利を積み重ねること」です。
僕たちが目指しているのは、型にはまったバレーではなく、コート上で選手たちがアイデアを出し合い、見ていてワクワクするような「自由で攻撃的なバレーボール」です。選手一人ひとりが誇りを持って戦う姿をお見せしたいと思っています。
ファンの皆様、そして栃木の地域の皆様の応援が、コートで戦う選手たちの最大の背中を押す力になります。ぜひ会場に足を運んでいただき、僕たちの熱い戦いを間近で体感してください。皆様と一緒に勝利の喜びを分かち合えるシーズンにできるよう、チーム一丸となって突き進みます。引き続き、レーヴィス栃木への温かいご声援をよろしくお願いいたします!
プロフィール

河野 裕輔(かわの ゆうすけ)
•生年月日: 1975年8月1日
•出身地: 茨城県古河市
•ポジション(現役時代): オポジット / アウトサイドヒッター
•身長: 191cm
•経歴(選手): 足利工業大学附属高校(現・足利大学附属高校)→ 中央大学 → JTサンダーズ(1998–2005年)
•指導歴など: 長野GaRons テクニカルアドバイザー → レーヴィス栃木 監督(2024年〜)
【主な実績・特徴】
•元日本代表&新人王: JTサンダーズ入社後の2000-01シーズンに第7回Vリーグ新人王を獲得。2001年には日本代表に選出され、同年のアジア選手権で3位入賞に貢献した本格派アタッカー。
•強力なオポジット: 191cmの恵まれた体格から放つダイナミックなスパイクとバックアタックを武器に、2000年代初頭のJTサンダーズの中心選手として活躍(黒鷲旗でベスト6賞を2度受賞)。
•メディア・解説でもおなじみ: 引退後は社業の傍ら、V.LEAGUE(V.TV / イージースポーツ等)の解説者としても親しまれ、熱量あふれる分かりやすい解説でファンから高い人気を集めました。
•地元ゆかりのチームで指揮: 高校時代を過ごした足利市(栃木)を拠点とするレーヴィス栃木が、2024-25シーズンから新Vリーグへ参入するタイミングで新監督に就任。豊富な現場経験と確かな理論でチームを率いています。
写真:黒羽白
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