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インタビュー

2014-07-18 12:56 追加

丹山美沙緒

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フィリピンリーグへのきっかけは、実はテン(竹下佳江)なんです。モンゴルリーグが政治問題でリーグ自体ができなくなっちゃったんですね。モンゴルは最後にいたのが2011年。テンがバレーボールの理事になったあとに、彼女から連絡があって、海外でバレーやる話が合ったらどう?ときかれ、迷うことなく行くと答えました。テンがそこで私のことを思い出してくれて、本当に嬉しかったです。

テンは、ちょうどグラチャンかなんかで国際大会があって、フィリピンの協会の人と話をする中で、日本の人にフィリピンリーグきてくれないかと話をして、テンが最初に私を思い出してくれて。現役の選手は無理ですし。引退してても2ヶ月だけっていう条件で行くという人は少なくて。私はチャンスだ!と思いました。

テンとは、17歳のとき、全日本ユースではじめて会いました。私本当は小学生の頃からずっとセッターがしたかったんですよ。でもずっとチーム事情でできなくて。背が高いから。高校でもずっとセッターがしたかったけど、できなくて。
帰化した理由が中学校のときさわやか杯で優勝したんですね。選抜に名前があったんですが、国籍で、ていうことで外れて。両親もそういうのはかわいそうだからと帰化には賛成してくれました。帰化の申請が下りたのが高2だったんです。ユースのアジア予選はだめだったけど、本戦からは大丈夫でした。やった、これでセッターで行けると思ってたのに、あの子が…テンがいたんです。あの子がライトに上げてきたトスを見て、「セッターになりたい」とはもう言えなくなった。あれを見ちゃうとね…。こういうトスをくれというところにぴったりと上がるんですよ。私は上がってきたトスを打つわ、がんばってみたいな感じになりました。20年近くつきあいがあるのかな。今でも時々ご飯を食べたりします。

彼女が第一戦でずっと頑張っていたので、私も頑張ろうって勇気をもらいましたね。

140417_7666resizeテンからの連絡のあと、JVAの方も入ってもらって、去年フィリピンリーグに行きました。
2ヶ月だけという条件だったので、その時やってた会社に2ヶ月だけ休ませてといったがダメだった。だから会社を辞めていきました。
楽しかったです。レベルは、日本より低い、モンゴルよりちょっと高いかな。体制はしっかりしてる。フィリピンのトップをやってる方が、アジアの連盟をやってる方なので。
フィリピンはプロバスケットリーグがあってすごくメジャーなんです。女子はないので、バレーに力を入れているようでした。6チームあって、2人ずつ外国人が所属していました。アメリカと、タイ、日本、中国。結構国際色豊かですね。

バスケはすごいですよ。遠目でみるとNBAかと思うくらい。フィリピンでは大学の女子のバレーがすごく人気。テレビも入って、選手もちょっとおしゃれしてって感じです(笑)。大きな体育館で満員になって立ち見が出るくらい。そういう意味では日本よりバレー人気は高いですね。

モンゴルでは、もっと体育館がちっちゃいんですけど、試合の時間帯やカードによりますけど、入る時は満員で立ち見が出るくらいです。そして、すごく観客とコートが近い。
タイムの時観客が声をかけてくる。無視してると肩をとんとん叩かれて「ミサオ!こういうトスを上げたら?」って言われたり。それが楽しかったりしましたね。日本では考えられないですよね。
サーブを打って、一本目決めて二本目打ちにエンドラインの方に行くと、ハイタッチする人達が待ってるんですよ。それでハイタッチしてからサーブを打つんです。

日本ではあり得ないと言えば、審判が試合中に携帯電話に出ちゃうんです。最初遭遇した時は「出るん!」とびっくりしました。その間ゲームは止まっているんですよ。「今試合中だから」とか相手に言ってるのが聞こえるんです。電車の中じゃないんだからさあ、みたいな(笑)。コーチとかもベンチで普通に電話に出てますしね。
だから、はじめはカルチャーショックが大きかったです。モッパーとかがアイス食べながらやってるし。
それに、控え室がないんですよ。観客がいるところで着替えるんです。最初はやっぱりできなくてトイレに行って着替えてたんです。そしたら、社長がトイレから出てきたときに出くわして、あんなところでなにやってたんだと聞かれて、着替えていたんだと答えると、そんなきたないところできがえるな、中で着替えろと。それで肝が据わったですかね。
見たかった見ろよって(笑)。

フィリピンリーグでやるのは、2ヶ月ぐらい。
行った5日後に試合があって、コンビがどうとかもう関係ない。サインを覚えてきたかなというところで試合、やっていって合ってきたかなあと思うところで終わっちゃう。
体育館ついたときにもう汗べちゃべちゃ。2時間練習しただけで5時間やったくらいの感じになる。

今後もオファーが来たらもちろんやります。ばりばりやりたいです!

あこがれだったレグラベルとチームメイトとして

あこがれだったレグラベルとチームメイトとして

去年フィリピンリーグに行って、アジアクラブカップに出場できました。
フィリピンは選抜チームにするというので声がかかって、もうそんなオファー、断る理由がない。違う国ともできるなんて嬉しくてしかたなかったです。レグラベルがくるというのがあとからわかって。すごい興奮しました。テレビで子供の頃見た人で、一緒にできるとは思えませんでした。一緒に生活もしましたね。オリンピックで三回金メダルとった人ですから。彼女も左ききで、私も左ききなんでずっと見てました。
このときはしつこくバレーやってて本当に良かったなと思いました。

今後の目標は、できるだけ長くやりたい。海外で、行ったたチーム、行った国で、少しでも何か影響を与えられたらと。日本で現役やってたころから記録を残すよりも記憶に残したい。すごい選手じゃなくて、なんかいたよねっていうのでもいいから。

全日本のバレーボールを見れない時期もあったんですよ。そこに立ちたいのに立てないから。それで見れなかったときも。そのうち勉強のつもりで見るようになった。

そうそう、2008年のときに東アジア大会がモンゴルであったんですが、そのときはなんとモンゴル代表で出たんです(笑)。まだ滞在3年くらいだったのに5年滞在していたことにして、よくわからないけど婚約者がいるからみたいなことにして、モンゴル人として。だから代表経験はありますよ(笑)。

今はあまり国というのは意識してないです。
前は、日本にいて日本でバレーして、トップでやりたいというのはあった。現在は、それ以上に海外でやりたいという気持ちがすごくあります。

全日本ユースではじめて海外のチームを見た時に、すごく楽しそうで、同じバレーをやってるのに。日本てやっぱり、監督や先生がいて、ああしなさいこうしなさいというバレーですよね。だから海外でやりたいなと思っていました。

東洋紡に入った時に、柳本さんに「お前NEC大学卒業してきたんか」って言われたんですよ。男子とはちょっとまた違う。そういう文化でなくてもやれるはずって思っていました。

自分のこと、すごくいい加減だと思っていたんですよ、日本では。モンゴル行ったら「あたしすっごくまじめだ」って(笑)。モンゴルは10時練習というと、10時に来てる選手は1人か2人。最初はそれですごくいらいらしました。

リーグ途中で大事な試合で、みんな遅刻してきてもう少しで棄権試合になりかけたことがあったんです。コートの中に2人対3人くらいで笛を吹かれちゃった。それで、審判に呼ばれて、5分後に人数が少ない方が負けといわれて、ぞろぞろ遅れてきたみんなに「とにかく靴履かなくてもいいからまずコートに入って!」と(笑)。首位決戦ですごく大事な試合だったんですよ。それがコートに何人いるかで決められたらたまったもんじゃないじゃないですか。そのあとすごく怒ったけど、みんな「ミサオは何を怒ってるの?」みたいな感じでした…。その後も変わらなかったけど、遅れてくると少しだけ申し訳なさそうになった。でも、そのあと自分がかわってしまってモンゴル化してしまいました(笑)。
両親に今でもよく「ここはモンゴルじゃない」って言われます。

海外暮らしが長いのですが、ホームシックにかかったことが一度もない。弟はJTでイタリア遠征に行った時にすごくやせて帰ってきたみたいなんですけど、私からすると信じられないですね。あんなご飯の美味しい国で、何でやせて帰ってこられるのか。兄弟でも全然違うんです。

今度は9月といわれているので、8月の終わりか9月の頭くらいにフィリピンに行く予定です。今から楽しみですね。観客がいてみられるのが好きだから、フィリピンのホットな観客に応えられるようなプレイをしたいです。

聞き手:中西美雁
写真:Michi Ishijima、中西美雁

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