2017-01-09 19:54 追加
篠田歩「これからも変わらず、叱咤激励してくれればよろしいと思います」
SV男子
平成28年度天皇杯は、東レアローズが優勝を果たした。2年前の天皇杯で起きた不祥事でお蔵入りしていた記事を、同じく天皇杯で雪辱した記念に解禁したいと思う。篠田歩(東レアローズ)引退記念記事である。
――今日は、引退記念記事ということで、これまでのバレー人生を振り返っていただきますね。まず、Vチームの中で東レを選んだ理由は?
高校の時からずっと東レの合宿に来ていて高校の時から声をかけてもらっていた、そういうのがあって。昔ちょうど菅野さん(現東レ女子監督)が男子の監督やられた頃に、ユニフォーム貰っていたりとか、気にかけてもらっていたというのは、あるかもしれないですね。
――齋藤信治さんとか小林敦さんとか、当時の全日本クラスのミドルがいる所に行こうと思ったのは?
別に(レギュラーを)とれると思っていたから……。「そういう人たちの中でレギュラーをとる」という目標があった方がいいだろう、というのもあったかな。入ってもレギュレラーになれないなぁとは思っていなかった。
――出場機会を得るためにどんな努力を?
ん~……。努力……。努力したん……かな? 努力したんだろうけど、特別にはなにも……。
――入って割りとすぐに入れ替え戦があったと思うんですけど。
そうですね。ちょうどレギュラーで出て、入れ替え戦だったから、その時は(気分が)落ちたかな。
――その次の年は初優勝。
でも膝壊して、僕は途中まで出ていなかった。決勝の舞台には立てたけど、そこに行くまでには全然。膝の怪我で出ていなかったんで。言ったらまぁ貢献していない。
――キャプテンに就任した時にインタビューさせていただいたんですけど、そのとき「どんなキャプテンを目指されますか?」と聞いたら「ナナメ上方向を目指して走っていきます。」と、ちょっとさっぱり分からないんですけどみたいなお答えでした(笑)。
ナナメ上……なんだろうね(笑)。常に上を向いていけるようなって事じゃないですかね?
――バレー人生で初のキャプテンだと、そのときうかがいました。
そうそうそう、だからもう今までそういうのから逃げていて、高校の時もやれと言われて嫌だと言ってやめて、大学の時も最初やろうと思っていたけど「やっぱできない」って言ってやめて。そういうのだったので。
――やれって言われていたのに辞退していたのでしょうか。
そうですね。なんか違うなって自分の中で思っていた。
――東レではなぜ引き受けたんですか。
今まで逃げていたから、ここではちょっとやってみようかなと。軽い気持ちです(笑)
――3冠を達成した時の思い出などありますか?
思い出というか、その前の年に2年連続決勝まで行って負けているので、3冠獲った時はホッとしたというか。「やったぁ!」とかじゃなくて。普通にホッとしただけですね。勝って「やった!」という思いは、少しはあったけど、よくよく考えてみたらホッとした。喜ぶよりは「はぁ」と。「やっとか」という思い。
――前年度は敢闘賞を獲得されましたね。
別にどうでもいいです。個人賞にはこだわらないです。
――キャプテンを後輩に譲ってから、ベテランとして心境の変化とかありましたか?
終わった後は、自分の中では、「口を出した方がいいのかな」とかいろいろ葛藤があった。ここ言ってもいいのかなとか。僕が出しすぎると変わらないんじゃないかなと。せっかくキャプテンが変わったのに。っていうのはありましたね。
――現役を勇退するきっかけとなったのはなんでしたか?
コーチをやってくれと言われたから。それだけです。
――まだまだやれるぞとかは?
まだまだやれるぞっていう感じというか、「やれるかな」くらいの感じではあったけど。
コーチになってくれと言われた時点で「あぁ俺は終わったな」っていうか……そんな感じですよね(苦笑)。
――コーチ兼任というのは考えませんでしたか?
僕の性格的に、どっちもできるなんてそういう性格じゃないから。そう言われた時に終わりかぁみたいな感じですね。
――引退試合になった黒鷲について。
自分の中で「引退試合」というふうには、思っていないんですよ。だから発表もしたくなかったし。別に引退にこだわりはないです。みんなに祝ってもらおうとか、別にそういう思いはなかったので。バレーを終わったわけではないので、そういう気持ちの方が強いですかね。
――同期の田辺さんと越谷さんについて、特に越谷さんなんかは女子でも指導もされているので、思う所とかありますか? 今までのことなど。
うーん…別にないですね……。昔よりは、「人前で喋れるようになってるなぁ」っていう感じです。そんなもんですかね。
――宇佐美さんが引退した時に、篠田さんのコメントがでていましたね。再度宇佐美さんについてお願いします。全日本の時によく合わせてもらったとか。
ユースの時に宇佐美さんと出会って、その時の自分のクイックって、とても遅くかった。宇佐美さんにいろいろ教わって、今の僕のクイックができたというか、ここまでこれたというのはある。師匠まではいかないけど、僕をひとつ上に上げてくれた人というか。全日本でどうこうとかいうよりも、高校の時に出会って、一緒にユースで出来たのが、僕の成長に繋がった。
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