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インタビュー

2016-06-27 09:00 追加

『つなげたから』五十嵐元 引退記事(1)

V男子

--そのあと豊田合成に入られるわけですが、内定選手として、全日本インカレよりも前にデビューされているんですね。

そうなんです。北海道、苫小牧で11月に試合があるからということで、地元だし、チームも盛り上がるんじゃないかということで、インカレ前に1週間くらい帯同させてもらって、試合に行ったんですけど。(合成は)その前の年にぎりぎり4強入らなかったくらいで、強いんだなーと思っていたんですが、帯同することが決まってから4敗か5敗そのくらいして。これえらい時に帯同することになったなー、と思ったんですけど、なんとか僕がメンバー入りして、ピンチサーバーで出ただけですけど、その試合でチームが初勝利ということになり、すごく思い出に残る試合になりました。
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--そして大学を卒業して入社されて。

1年目、1試合目から、レギュラーっぽく試合で遣ってくれてたんで、試合に出るのが緊張したのは憶えてるんですけど…全然ダメだったんですね。オポジットだったんですけど。当時変則だったので、サーブレシーブもしながら、だったんですけど。
オポジットで最初行って全然ダメで、先輩とかにもなかなか厳しく言われて、もちろん僕が甘かったのはあるので、すごい…全然ダメだったなという気持ちでショックを受けていたんですけど、結局試合終わってホテルに戻ると、先輩たちが気を使ってくれながら、いたのはすごく憶えていますね。で、3試合目くらいでオポジットからサイドに変わって、当時盛重(龍)さんと代わったんですけど、で、なんとか1勝目あげた、という意味で、その1試合目をいちばんよく憶えています。

--合成では内定でのシーズン含めて5シーズン。この間でのことで印象に残っていることは。

一番はケガですかね…これは、僕のターニングポイントといいますかね。内定が終わって1年目が終わって、2006/07シーズンの開幕直前で、誕生日の次の日くらいだったんですけど、アキレス腱が切れたんです(2006/07シーズンは、年明け2007年になって開幕した)。

「赤いユニフォームが合成最後のシーズンとなりました」

「赤いユニフォームが合成最後のシーズンとなりました」

--そこからたいへんな思いをされて…

大きいケガはそれまでしてこなかったので。今でも切れたほうはつま先立ちはできないので…。まあ、ちょっと、これは、いま思えば大変だったなぁ…。
本当は、2~3年試合に出られなかったら考えようと思っていたんですけど、1年目から試合に出ることができて、けっこうできるんだなー、という手ごたえがあっただけに…。逆に、試合に出てなかったら、もう少し早めにあきらめてたのかなというのも、それはよく思ってましたね。1年目そこそこ出来てたので、あきらめが悪くなっちゃったのかなというのはありますね。

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