2017-05-02 08:00 追加
一度離れて気がついたバレーへの想い ジェイテクト・古田史郎(前編)
V1リーグ 男子
——怪我の話が出ましたが、古田選手のキャリアは怪我に泣かされることが多いと思います。東レの時は肩を痛めてたようですが。
古田選手:僕自身、ずっと怪我で棒に振って来たので。直せる時に直すのがすごい大事だと思う。東レ所属の2年目、2011年に右肩を怪我してしまった。結局そのシーズン、(肩への負担が少ない)ミドルブロッカーをやったんですが、翌年に今度は坐骨についてる腱を痛めてダメになりました。手術ができなかった。完全に三ヶ月でリラックス、三ヶ月リハビリ。それでも痛みがひかなかったら、最悪オペということに。腱の付着部ってオペしてとめちゃうと、肩の動きが一部できなくなるとか、柔軟性がなくなる。それでしないほうがいいと。そのシーズンはもうダメだと思いました。
——それでだましだましでプレーしてたということですか。右肩はどうやって治療したのでしょう。
古田:完全にリハビリです。肩甲骨をうまく使えるようにして、可動域を出して、負担を減らす。トレーナーに指導してもらいながら治療しました。
——打ち方は可動域が広いように受けたのですが。
古田:それはおそらく肩を痛めたから、リハビリの結果、余計に広がったのかなと。坐骨に関しては、本当にダメでしたね。ハムストリングがずっと痛くて、座るのもきつかった。今も完治してないです。ジェイテクトに入った時はずっとリハビリだった。まったく痛みが引かないし。今も痛みが残ってるんですけど、左側の外側は感覚がないです。リハビリと体の使い方に人一倍力をいれた。ジェイテクトへ入った時は体重が77、8キロだったんですけど。ジェイテクトにはいって、8キロくらい増やして、まず体を元に戻しました。
——話を今シーズンに戻します。ジェイテクトはチームの波が激しく不安定な部分を感じさせられました。
古田:相当あったと思います。
——古田選手個人としても、怪我を含めて、試合に出られなくなった。それ以上に試合を見ていると、セッターとの微妙な合わせ方にだいぶ苦労してるなという印象を受けました。
古田:それは仕方ないのかなと。自分自身タイミングがわからなくなった部分もあって、(助走ステップなどを)さぐったり、関係をつめきれなくて、どっからどこまで自分で改善して、どっからどこまで要求していくべきか迷いました。若干のズレだとは思いますが、その改善ポイントがこれだというのが自分の中でつかめなかった。
——オポジットに転向して2シーズン。難しさや面白さは?
古田選手:難しさでいうと、外国人がオポジットを務めるのと比べて、上背がないぶん、高さに20センチの差があると思う。常に高い位置までボールを持ってくる作業、レフトだと右からボールが来るので、ある程度自分が飛びつく高い位置で多少を変えられるけど、ライトだと多少のズレがレフト以上にでる。レフトは最後引っ張れちゃうから。ライトはそのごまかしが難しい。
——単純に助走も変わりますもんね。どちらから右肩から落ちるというか。
古田選手:そうそう。なんというか、難しいなというか、僕自身もタイミングを取れないケースが多々あります。
——ライトのブロックはどうでしょう。
古田選手:昨シーズンはやりにくかった。今シーズンは多少感覚をつかめていた。やっぱり相手のライトからの攻撃を止めに行くレフトのブロックの方がしやすい。手を前に出しやすい。今だと、結局、ライトとしてレフトアタッカーを止めにいくと、いきすぎたりとか、逆になっちゃうので、クロスを打つなという時にこちらに手を出すというのがなれてなかった。
——オポジットを2シーズンやっての手応えは?
古田:今シーズンの反省というのは、どんなボールでも対応していかなきゃというのを改善していかないと。僕自身は僕がチームに貢献するために、自分の良さを活かすために要求することってすごくあるんですけど。逆に相手を活かすためのなんていうんですかね、本当に、なんていえばいいんですかね。ジャンプすることとか、そういうことに対しての能力を6か7か使っていたんですけど、タイミングとかボールを合わすウェイトを4だとすると、それを8対2くらいにしようかなと。ジャンプすることに対して、意味がないのかなと。ボールの方に合わすことを8にしようかなと思いました。
——前回、今回と取材で話していて思ったのが、来シーズン以降もプレーするのか、そこへの気持ちがなにか離れているような印象を受けたのですが。契約を更新するのでしょうか、今シーズンのプレーを見て、まだまだできるとは思いますが。
古田:そこはまだなんとも言えないところなので(苦笑)
(*この質問は4月下旬)
後編に続く
古田史郎(ふるた・しろう)
1988年1月29日、北海道函館市出身。オポジット、ウィングスパイカー。2010年、法政大学から東レアローズに入団。12年退団後、一時はクラブチームの北海道クラブに参加。その後、13年にジェイテクトスティングスに入団した。身長190センチ、最高打点360センチ。
聞き手:大塚淳史
写真:ジェイテクトSTINGS
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