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コラム

2020-12-30 15:25 追加

カーテンコール 東京五輪金メダリスト・東洋の魔女のエース 井戸川(谷田)絹子さんを偲ぶ

谷田絹子さん追悼

Others / 全日本代表 女子

2020年12月4日、1964年に行われた東京オリンピックの女子バレーボールで金メダルを獲得した“東洋の魔女”のエース、井戸川絹子(旧姓谷田)さんが、脳出血で亡くなった。81歳だった。

筆者は2回、井戸川さんに取材させていただいたことがある。1回目は2014年、2度目の東京オリンピックが決まった年のことで、2回目は昨年2019年の秋。いずれもお住まいの池田市までうかがっての取材だった。

長年バレーボール記者をしている筆者だが、さすがに東洋の魔女のプレーはリアルタイムでは見れていない。しかし、バレーに興味を持つものならば、「東洋の魔女」を知らぬ訳がない。貴重な機会を与えてくれた出版社に感謝しつつ、出向いたのを覚えている。

井戸川さんはとても気さくな方だった。2回ともしっかりとお話しいただき、非常に興味深かった。

「鬼の大松監督」について、「写真で見ると結構イケメンですけど、『きゃー素敵』とかはならなかったんですか?」と馬鹿な質問をしてもニコニコしながら、「それどころじゃありませんでしたよ。もう怖くって」と答えてくださった。

「でも、『鬼の大松』というのはメディアの皆さんが呼んでいただけで、本人は『俺はホトケの大松だぞ』と言って笑っていました。厳しい練習でしたけど、スパルタじゃありませんでした。今から思うと、私も『ホトケの大松』だったと思うんです。本当に家族のようでした」。

そんな井戸川さんにも淡い思いを寄せていた男性もいた。
「松下電器(現在のパナソニックパンサーズ)の選手で、すごいアタッカーだなという方がいました。松下電器の選手たちとは、練習の帰りのバスで一緒になって、よくおしゃべりに興じました。だけど、あるとき大松先生が『タニ、バスに乗る時は俺の前に乗れ』と言われて…。見られていたんですね(笑)。恋愛なんて、そんなことはとても。そんな時代じゃありませんでしたから」。

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