2020-12-31 12:59 追加
カーテンコール 川村慎二さん(前パナソニック監督)「選手と仲間に恵まれた監督生活で、本当に感謝しています」前編
川村慎二監督勇退インタビュー
V1リーグ 男子

最後の試合となった2019-20シーズンファイナル
2020年5月、6年間パナソニックパンサーズの指揮をとってきた川村慎二監督の勇退が発表された。6年の任期中には、2度のリーグ優勝、2度のリーグ準優勝、天皇杯、黒鷲旗を入れての3冠、アジアクラブ選手権準優勝といった輝かしい業績を打ち立てた。南部正司元監督の日本代表監督就任にしたがって、現役生活にピリオドをうち、コーチ経験もなく一足飛びに監督に就任した。当時現役引退にまつわる取材を行ったが、川村本人は相当な思いで現役続行を希望していた。そのような事情もあってか、監督就任から初タイトルまでの道はなだらかではなかった。
就任から順を追って、本人から話を聞いた。
――まず、監督に就任されたときは?
「監督に指名されたときは、正直やりたくなかったです。現役を続けたいという気持ちが強かったので」。
川村は、「オリンピックに出場したい」という気持ちを強く持っていた。ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得した全日本女子の打ち屋のスタッフを眞鍋政義監督(当時)に頼まれて務めたことも、その思いの要因だっただろう。しかし、パナソニックは川村を南部の後継者として指名し、選手兼任監督という方式も認めなかった。短期的に見ればこれは厳しい判断だったが、長期的に見たときには、これが正しかったと筆者は思う。なんとなれば、初年度の川村は、本人も言うように「選手の気分が抜けてませんでした」という姿がありありとわかったからだ。川村の現役時代は、同期の山本隆弘や宇佐美大輔といった華も癖もあるスター選手たちとは違うが、彼らが持っていなかった一つの選手としてのかけがえのない資質を持っていた。それは、どんな劣勢のときでも、最後まで諦めず、上を向いて戦い続けるということ。
リリーフで登場することも多かった川村だが、一度コートに登場すれば、必ず仕事をした。それゆえに、他のチームの選手からも「川村さんは、パナソニックの生命線だよ」と控えめではあるが、評価が高かった。そのキーマンとなる「生命線」の選手を失い、コーチ経験もなく現役に未練の残った監督が率いた1年目は、ファイナル6を全敗して6位に沈んだ。
「選手でやりたいという気持ちのほうが強かった。選手は頑張ってるんですけど、結果が伴わない。やっぱり出たいなという思いもありましたし、『こういうときだったら、僕だったらこうする』とか、そういう事は常に考えていましたね」。川村もほろ苦く振り返る。
「選手が同じだから、と少しなめていた部分もあったかもしれない。監督が変わるだけで、こんなにも変わってしまうのかと。そしてより一層『自分が出たら』という気持ちが募りました」
――2年目もですか?
「2年目ね、覚えてないです。1年目はそんな感じで、2年目3年目はしんどかったです。2年目…2年目はほんま覚えてないですね」。
2年目も成績的にはそれほど悪くはなかった。何しろリーグでは準優勝だったのだ。
「とはいっても、それまでずっと優勝してきたので、達成感は優勝しないとというのが絶対選手の中にもありましたし、決勝まで行って負けるというのは、悔しかったですね」
常勝軍団の将を引き継ぐというのは、通常とはまた異なる大変さがあるのだなと思うばかりである。
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