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インタビュー

2016-07-30 09:30 追加

『つなげたから』 五十嵐元 引退記事(3)談話・ほか

引退記事完結。縁の深い方々からのコメントをいただきました

V男子

五十嵐元さん引退記事第3弾(最終)。引退に際し、ともにプレイした縁の深い方々からのコメントをいただきました。

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大分三好ヴァイセアドラー・小川貴史監督

(大分三好での3シーズンをともに戦った)

五十嵐が入ってきた当時、ウチ(大分三好)って九州出身の選手が多くて、その中に五十嵐が北海道出身、そして関東の順天堂大学を経て豊田合成、という経歴で来て。僕自身が九州にずっといてバレーしてたので、すごく新鮮でした。
そしてすごく人なつっこい性格なので、その当時僕はキャプテンをしていたんですが、「じゃあ飲みに行こう」ということがけっこう多くて。彼も、飲みに出るということがけっこう好きな人間だったんで、よく行きましたね。飲みに行ったりバーベキューしたり…彼、バーベキュー大好きなんですよね。行った席で、結局バレーのことを熱く語る、というふうになるのが多かったですね。
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彼が三好で最後の年にキャプテンをしてて、その時は、キャプテン経験者として、いろんな局面で話し合ったり相談を受けたりして、僕は、五十嵐ってすごくキャプテンシーがあると思いながら聞いていました。

(大分三好在籍の3シーズンについては)ケガがけっこう多くて頻繁にいろいろなところを痛めたりしていて、試合にはあまり出られなかった中で、懸命にリハビリしていましたし、こうしたら良くなるとか、こういうトレーニングをしたらこういう効果が出るとか、いろいろなアイディアを出して、調べていましたね。現役、プレイヤーとしてのこだわりというのはすごくあったと思います。一緒にやっていて、僕も、バレーボールに賭けるという気持ちっていうのが気持ちよかったです。

彼がつくばに移籍してから、(主に2シーズン目から)対戦する機会があり、試合になるとやはり対戦相手なので、いかに勝つかということでやっていましたが、それが終わると、すごく、なんかこう…。五十嵐といると、僕はすごくホッとしますね。いつも逢うと、お互いいろいろな話をする中で「久しぶりー」っていう風にはならないんですね。「まー、元ちゃんー!」っていうふうに、いつも通りの会話をできる存在という。僕の周りにはあんまりいないですね、そういう人っていうのは。そのくらい、近い、身近な、心を許す、そういう愛嬌を持っているんですよね。僕の目線で言うとそうですね。親友というか、いろいろなことを、学ばせてもらえた仲ですね。バレーボールについても。

いちばん思い出に残っているのは…五十嵐が(大分三好を)やめる前ぐらいに花見に行ったんですよね。五十嵐と、浜崎と僕と、あと、FC東京に行った山田(要平)とで。五十嵐が「僕、バーベキューセット持って行きますよ、料理しますよ」って言ってたんですが、何をつくったかというと、まず、会場にキッチンつくっちゃって。キッチン、炊事場、あと、オーブン、バーベキューのコンロセット、蒸し器…。キャベツと豚肉のミルフィーユをつくりだして、あと、次は、燻製をつくるって言い出して、桜チップと燻製のマシーンで燻製をつくってくれて、焼肉もやって、炊事場で洗い物もして、もうすごいなぁって…。僕は初めてバーベキューのなんぞやというのを知らされて、衝撃を受けましたね。だから今でも僕バーベキューするときは、その思い出をもとに、いろいろなことをやっています。最後にそれを伝えていきます。

彼も結婚して、子どもも生まれたみたいで、一家の主となったみたいですけど、持ち前の、人をたのしくさせる力、引っ張っていく力…人を明るくさせる、そういう力を持っているんで、その、自分の能力っていうものを、これからのために活かしていってくれたら、すごくいいなーと僕は思っています。そういう気持ちのいい人間で、これからも、五十嵐くんらしくいてほしいなと思っています。 また、九州に戻ってくる機会が何かであったら、タッグ組もうぜー!…と…嘘です…(と小声で)。離れて寂しい男だったな、と思います。

大分三好ヴァイセアドラー・浜崎勇矢選手

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豊田合成時代(2007年中部総合)

(豊田合成、大分三好、つくば、3チームで計8シーズンをチームメイトとして)

僕が18で豊田合成に入団して、いちばん最初に話した人です。部屋も隣でしたし。 最初はすごい怖くて。まぁみんな怖かったんですけど…(笑)

いろんなことを元さんに教わりながら、でした。僕が18で入ってきて、何も知らない中、社会人としての、挨拶だとか、人間関係だったりとか、バレーに取り組む姿勢だとか、いろいろなことを教えてくれた。すごい言われすぎて、元さんのこと、最初、あんまり好きじゃなかったんですけど(笑)それが、僕のために、っていうのかはわからなかったんですけど、今考えると、わかるというか。元さんがなんで言ってくれてたのかなっていうのを、すごい今になって…。ええ。師匠みたいな感じですね。人生の。

大分三好に移籍するときは、僕が先に決まって、「元さんがいたらやっぱり、バレーに取り組む姿勢だったりとか、という部分で(V・プレミアリーグで下位のチームだったんで)変えられたらなー、いっしょに変えたい」という気持ちがあって。やっぱり、頼りになるんです。来てくれたらなと思って、(三好院長)先生にも話して、「それだったら、是非、来てもらおう」ということになって。そういう経緯がありました。

三好でも、つくばでも、それぞれに、一生懸命、誇りを持って前に進んでいました。しっかり支えていただいたので、僕らもバレーボールしやすかったという感じでした。

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最後の試合(2015/16シーズン最終週、大分での試合)、僕はなんとなく聞いてたんで。家族も来られてましたし。…辞めてはほしくなかったです。元さんももう若くはないって言ったらアレですけど(笑)

僕ももう、いつまでバレー出来るかわからないですけど、元さんぐらい、いえ、元さんよりも、存在感というか、…元さんって存在感あるじゃないですか!あの人がいると、何かしてくれるんじゃないかなという…そういう人に、なりたいです。

今は、九州と関東、ですが、元さんにはまた会う機会があると思うんですけど、そのときは飲みにでも行きましょう、という感じです。いろいろな話、したいですね。

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