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インタビュー

2020-05-13 12:00 追加

カーテンコール阿部裕太・前編「強みは、一生懸命やったこと」

V1リーグ 男子

――入ってすぐの優勝経験はどうでしたか(決勝戦の第1戦目は控え、第2戦目はスタートから出て、最後のコートに立っていた)。
阿部:若いときはほんとうに何も怖いものはないし、なんかがむしゃらにやってシンプルに勝ちたいだけ、というのでやったので、シンプルにうれしかったです。

――本当にうれしさが爆発した感じでしたね。ちょっとさかのぼって、バレーを始めたきっかけは。

阿部:母がママさんバレーをやっていて、やりたいってわけじゃなくてついていって、ちょっと遊びで打ってみない?みたいな。兄が勝田工業でバレーをしていて、それで、まあお前もやるかみたいな流れになって。どちらかというと野球とかサッカーとかのほうが好きは好きだったんですけど。入り口はそんな…人の影響ですね。

――阿部さんはセッターとしては長身(190cm)ですが、結構早くからセッターになりましたよね。
阿部:一応中学のときですね。ただ、セッターといっても、クイックも打たなければパスしてるような。
レフトだったらレフトばっかり・・・そのへんにぼーんってあげる。中学もめちゃくちゃ弱かったんで…県大会に出れないような感じでしたから。セッターと呼べないですね。本格的にちゃんとやったのは高校からですね。

――セッターになるというのは、先生の勧めだったのでしょうか。
阿部:高校の時は大きいセッターを作りたいという考えで、当時の高校の監督の秋山先生に育ててもらったのです。スパイカーをやってたらここ(Vリーグ)には来れなかったでしょうね。感謝してます。

――大学のころ、英語とイタリア語の本を読んでると聞いてたんですがどんな本を。
阿部:いや、語学力はまったくないです(笑)。語学の本を買ったというのが正しいですね。イタリアは加藤陽一さんが東レをやめて行って、僕も一緒に一週間くらい行って、トレヴィゾの練習も参加させてもらいました。行くにあたって、語学の本はあったほうがいいだろうと。若いときはそう思うわけですよ。なので、ほんと持ってただけですね。

――セッターとして、外国人選手とのコミュニケーションを無理なくとれるコツは。
阿部:日本でやってる外人選手だったら日本よりの言葉を使ってくれる。わかりやすい英語っていうか。コートの中で使ってるのは、日本語英語みたいな感じなので。基本タイムアウトでも通訳を通しているので時間がないので、選手どうしで自分に限らずやってますね。

――交流の近かった加藤陽一さんや柴田恭平さんが海外進出する中で自分も海外に行こうという気持ちは。
阿部:影響というよりも、もともとありましたね、そういう考えは。
(海外に行くという機会は)2回あったんです。お話いただいたのは。大学の時いただいたのと25・26歳の時ですか。

今はわからないですけど、その当時はセッターはトスを上げてスパイカーに打ってもらって、外国人のほうが、すごいいろんなボールを打てるって印象があったんですよ。なので、そのまま海外にいったら、大雑把なセッターになっちゃうんじゃないかという印象があったので、技術を磨くんだったら日本人に…針の穴を通すわけじゃないですけど。そっちでやってるほうが練習になると思いました。スパイカーだったら高いブロックに対してとか、強いサーブを受けてとか、そういう・・・海外を感じることはできるかもしれないですけど。

――今だったら、海外に行ったほうがよかったですか?
阿部:どうですかね…セッターは…僕はプレーヤーとしてだったら、今でも行かないかもしれない。ただ、行ってバレーの勉強がしたいとか、プレーヤーの後のことを考えたりとかなら。言ってみれば、箔がつくじゃないですか。イタリア行って学んできたという。勉強になるという意味では、行きたいですね。ただ日本の指導とかも勉強しきれていないので、いろんな人と話をしてみたいです。

――秋山央監督はどんな監督でしたか。
阿部:秋山さんはすごく勉強してる人です。今でもそうですけど、筑波に戻られてから東レの監督だったときも。でも、それを押し付けない。
若い選手ですごく伸び悩んでいる選手には、ある程度の指導はしますけど。そういう選手に対しては厳しいですね。ベテランに関しては、基本的に何にも言わない。自分で頑張らないといけません。一言でいえば勉強熱心です。

中編に続く

取材・文:中西美雁

プロフィール
阿部 裕太(あべ ゆうた)1981年8月8日生まれ。茨城県ひたちなか市出身。ポジションはセッター。現在はV.LEAGUE Division1の東レ・アローズコーチ。

家族の影響で、大島中学1年よりバレーボールを始める。2001年、東海大学在学中の19歳の時に全日本代表入りを果たし、同年のワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)で代表デビュー。2004年、東レ・アローズに入団。2012年6月、東レを退団しサントリーサンバーズに移籍。2017年黒鷲旗大会をもってサントリーを退団し、コーチ兼任として東レに再移籍した。2019年5月に現役引退しコーチ専任。

球歴・受賞歴
全日本代表 – 2001-2004、2006-2007、2009、2012年-2016年
世界選手権 – 2002年、2006年
ワールドカップ – 2003年、2015年
ワールドグランドチャンピオンズカップ – 2001年、2009年
受賞歴
2005年 – 第11回Vリーグ新人賞
2013年 – 第62回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会 ベスト6

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