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インタビュー

2012-09-03 20:37 追加

越川優インタビュー 3年間のセリエAでのプレーを終えてサントリーに復帰

この夏、3年間のイタリアリーグ生活を終えて日本に帰ってきた越川選手のインタビュー。

V1リーグ 男子 / 全日本代表 男子

3年間のイタリアリーグ生活を終え、サントリーサンバーズに帰ってきた越川優選手にお話を伺いました。リベロとしての経験やイタリアで得られたこと、今の手応えなど盛りだくさんです。

いきなりなんですけど、昨年のワールドカップ、主力として全日本で活躍されるようになってから初めての落選だったと思いますが。

チームの構成として、入らなかったということなので。首脳陣の判断なので、決まったらそれに従うしかありません。

そこから前向きな気持ちにどう切り替えましたか?

自分にはイタリアリーグがもうすでに始まっていましたし、すぐに気持ちは切り替わりました。

去年のシーズンは、アジア選手権とリーグの開幕が重なって出場できていないし、ワールドカップ前の合宿もあってパドヴァへの合流が遅れてる、さらにパドヴァはA1に上がって初めてのシーズンという状況でした。
まずスタートから遅れてるので、チーム内でのポジションを見つけることが大変でした。

ですので、自然と切り替えられました。

そのセリエAでのことですが、こちらでびっくりしたニュースが、「越川優リベロに」でした。最初に監督に「リベロをやれ」と言われたとき、ご自分で「できる」と思いましたか?

いや、最初は断りました。

あ、そうなんですね、やっぱり。

断ったというか、ファーストリベロとセカンドリベロがいて、セカンドリベロが怪我をしたんです。二人とも僕は2年間ずっと一緒にやってきた仲間だったので、二人それぞれのいいところ、悪いところも知っていました。

まず、監督に「僕はリベロというポジションをやったことがないよ」という話をして、でもサーブレシーブとディグを買ってもらっていたので、僕自身も色々と考えて、「それがチームのためになるなら」という決断を下しました。それが年末のことでした。年末最後の試合が終わった二日後のことだったかな?チームとしてやってくれと。

当時、ファーストリベロの調子があまり良くなかった。プレイもよくなかったし、それに引きずられて、なんというか、精神状態の方も不安定になってしまうというか。ずっとパドヴァでやってきた選手ですが、2年ぶりのA1で気持ちの余裕が無くなっていたんですね。そういうことがあって、チーム的にそこが気にかかっていたみたいで、僕に「やってくれ」と言われ、3試合リベロをやりました。

3試合もやったんですね。実際リベロをやってみていかがでしたか?

元々のポジションが違うので、最初から動き方も戸惑いましたね。全ての動きが真逆になるんですよ。だから自分が(スパイカーとして)前に上がっていたときはリベロは後ろに行っていたし、後ろに下がっていたときは、リベロは前に位置取りしていたし、ほんと真逆なんです。だから最初は戸惑いました。

2試合終わったときにセカンドリベロがプレイできるようになって。最初から、「セカンドリベロが怪我が治ってプレイできるようになったらまたサイドアタッカーに戻す」と言われていました。

チームのやっていた方針として、2人のリベロの役割をレセプションとディグをそれぞれ分けていたんです。ファーストリベロはレセプションが得意で、セカンドリベロの方がディグが得意でした。それで、サイドアウトの時とブレイクの時とで使い分けていたんですけど、それがやっぱりディグの方がいなくなって、自分が苦手な方までケアしなくちゃいけなくなったので負担が多くなってきて調子を落としてしまったのだと思います。

セカンドリベロが戻ってきたときに、2枚でやる方針に戻しました。

越川選手が入っていたときは1枚でやっていたんですか。

そうです。僕は両方ともやっていました。僕はサーブレシーブよりもディグの方が得意です。

実際やってみてリベロというポジションに対するイメージは変わりましたか。

今後も「やってくれ」と言われればやります。というくらいにはなりました。自分からやりたいというほどではありません……。リベロはリベロの大変さがあります。前から知っていたことではありますが、実際自分が経験してよりわかったと思います。

跳べる間はサイドアタッカーをやりたいですね。もしリベロをやるなら、日本では使ってもらえないと思うんで(笑)、海外ででしょうね。日本にはいいリベロがいっぱいいますから。あと、海外のリベロは、まずサイズが重視されます。小さいリベロもいますけど、A1のリベロは少なくとも180㎝台後半とか、190㎝台とか。小さいとパワーに対抗できないという考え方ですからね。

全日本女子監督の眞鍋さんも、セリエA時代にリベロにならないかと言われたことがあるようです。

我々日本人は、「何々ができてない」とかマイナス面からの発言を耳にします。 しかし、技術面では世界トップレベルのものを持っています。

ということは、もっと日本の選手は、自信を持ってもいい?

もちろんです。もっと自信を持っていいと思います。

僕も今までそうだったのかも知れませんが。たとえば、「今日のゲームはどうでしたか」と聞かれて「何々が悪かった」から入りますよね?日本人は自分を低く言うところからはいってしまいます。

謙遜の文化があるからでしょうね。

そこが日本のいいところでもあるのかもしれません。しかしスポーツの世界ではもっとアピールしなくちゃいけないと思いますし、もっと自信を持つべきだと思いました。

ちょっと今のお話しとかぶるかも知れないんですが、3年間イタリアにいて振り返ってみて得られたものは。

いやぁ、もうたくさんありますよ!(笑) 

そこをかいつまんでお願いしますよ。

バレーに関してはもちろん技術面もそうだし、精神的なところも、いろいろ得ることができたんです。話すと30分じゃ済まないですから……。一言で言うと、強いチームは、勝つだけのことをやっているなというのがわかりましたね。世界的にもそうですし、イタリアのナショナルチームの話とかも聞いたんですけど、強いじゃないですか、イタリア。能力もあるじゃないですか。サイズもあるし。なのに、色々やっているんですよ、細かいことを。

リーグになると、お金の話になりますけど、やっぱりお金のあるチームはいい選手を獲れるんですよ。そりゃ選手を獲れる獲れないの差はありますよ。ただ、能力と順位がそのまま出てるなというところもありますし、能力で負けていても監督の方針でカバーできているチームもあります。

選手がいてそれだけのことをやっているチームは強いなと思いました。
でもバレー以外のことが大きかったかな? 

どんなところですか。

全く知らない世界に一人で飛び込んでいったわけですから、苦労も多かったですね。もちろん言葉の壁もはあったし。そんな中で、いろんな人に助けてもらいました。日本にいたら絶対に知り合えなかった人と、向こうに行ったら同じ日本人ということだけで仲良くなれるし、それで自分の知らない世界をお互い知ることができたし、影響も受けたし。これは大きかったですね。

バレーのことだけじゃなくて、コートの外でも得られるものが大きかったということですね。

そっちの方が大きかったと思います。そっちが充実していたからこそ、バレーも充実することができたんだと思いますね。

両輪うまくいってよかったですね。

そうですね。バレーは、今までやってきたことで少しは自信もありましたから、ある程度は何とかなると思ってたんです。だけど、やっぱり言葉の壁はありました。考え方の違いで戸惑ったり。

正直言うと最初の年の開幕戦2試合は、ほとんど指示の内容がわからずに試合に出ていました(笑)。指示はわからないし、作戦もわからない、そういう状態でプレイしてました。そんな中でも変な話、プレイはできるんですよ。実際できてたんです、わからなくても。今までの経験だけで。だけど、違う方の自分が充実してなかったら、絶対バレーの方もできなくなるなと感じてました。

開幕し2試合目と3試合目の間に膝を怪我して、日本に戻って手術して、一週間でまたイタリアに帰りリハビリしました。チームはすごく面倒を見てくれてました。1ヶ月くらいはリハビリ病院に通いました。リハビリ病院というのは、交通事故に遭ったおじいちゃんおばあちゃんもいるし、もちろんアスリートもいるし。そういうところに毎日、朝5時に起きて6時からリハビリを始め、午後1時までやって、4時からチームの練習に行ってました。

そこで、おじいちゃんおばあちゃんと、バレー以外の話をするわけですよ。たとえば「あなたの名前はどういう意味なの?」とか「日本は今どうなってるの?」とか。そういうのがイタリア語の勉強にすごくなりました。

イタリア語は今はどれくらい話せるんですか? パオロ監督の通訳が務められるくらい?

うーん、どうだろ。同時通訳は無理ですね。しゃべってもらって、後から通訳なら何とかいけるかも知れない。バレーの話でしたらある程度は大丈夫です。日常会話の方が自信ないかな。

話は変わりますが、OQTは見てました?

見てました。みんな頑張っていました。最終日は戦う前に決まってました。
それでも最後までよく頑張ってくれていたと思います。ワールドカップの結果からすれば、すごくみんな頑張ってくれていたし、オリンピックには出れなかったけど、みんなにお疲れ様とちゃんと言いたいなと思います。

オリンピック本戦はご覧になってました?

男子は見れてないです。結果だけは見てました。

全日本女子の銅メダル獲得は、よい刺激になりましたか?

純粋にすごいなと思いました。嬉しかったし。やっぱり男子が出てなかったのに女子が出てメダルを獲って、男子の人気が……と言う人もいるかも知れないけど、僕はそうは思わないです。純粋に一バレーファンとしてすごいなと思ってたし、ありがとうと思った。

3年間のイタリア生活を終えて、日本に戻ってくることになったわけですが、サンバーズを選ぶ決め手となったのは何だったのでしょう。

まず日本に戻ってくるということなんですけど、正直あんまり考えてなかったんです。

決め手になったのは、サントリーの自分を必要としてくれている思いの強さが伝わってきたこと、パオロ監督が日本に来るという決断をしたことも決め手でした。

それだけパオロ監督との絆は強いものだったのですか。

僕は信用しています。それに、彼は日本に必要なものを持っていると思っています。

黒鷲旗でやったときにそのままやるつもりだったわけではないのですか?

違います。あのときは、まだ後のことは決めていませんでした。後で、パオロからメールをもらって、「サンバーズで監督をやるので、力を貸してほしい」と言われたことも大きかったです。あとは、イタリアに行っていたときに、個人スポンサーとしてサントリーさんがサポートしてくださっていたんです。そのご縁もありますね。

今実際に加入されて、手応えは。

今月(8月)合流したばっかりなので、まだ何とも言えないです。メニューもトレーニングなどは、まだ別メニューでやらせてもらっています。
監督も来日してまだ1週間ですし、チームは今、みんな必死にパオロのやり方にチャレンジしていってるところです。

チームの中で果たしたい役割は?

チームが勝つために必要なことをするだけです。具体的には、これからでしょう。

最後に、今後の目標について。

今シーズンのチーム目標である三冠というのが、自分が呼ばれた理由だと思っています。それはもちろん阿部さんだってそうだし、パオロだってそうでしょう。それを獲るために呼ばれたので、それを獲るだけです。

ナショナルチームの方は?

それはまだ後のことですね。まずは、1つ1つのステップを準備し、クリアしていくことが先に繋がっていくと思っています。

(8月16日収録 聞き手:中西美雁)

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