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インタビュー

2022-08-08 11:06 追加

「ほぼ日本人」8年間も日本でプレーし続けたアメリカ人選手 ジェニファー・ドリスからのメッセージ

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明るい性格でチームメイトとも関係を築くのが上手だったドリス。もともとアイススケートをしていたが、13歳のときにバレーボールを始めた。大学卒業後、プエルトリコのクラブを経てアゼルバイジャンへ渡り、イトゥサチ・バクーでプレーした。

当時、イトゥサチにはアメリカ代表のタイーバ・ハニーフや元ブラジル代表のエリカ・コインブラといった優秀な選手が在籍。アゼルバイジャンのリーグにも世界から優秀な選手が集っており、プロとしてのキャリアをスタートさせるのにぴったりの環境だと聞いていたそうだ。ハニーフのスパイクを初めてブロックした瞬間は「“私はオリンピアンのスパイクを止めたんだ!”と感動したという。


アゼルバイジャンのイトゥサチ・バクー時代(写真:Nargiz)

ドリスは「今思うと、あのときアゼルバイジャンに行っていなければ、私が日本でプレーすることはなかったかもしれません」と振り返る。

「イトゥサチ・バクーでは、佐野優子さんと横山雅美さんがチームメイトで、日本へ来ることになったのは彼女たちがきっかけでした。マサミから「1年でいいから日本にきてプレーしてみなよ!」と言われたことから交渉が始まり、日立リヴァーレへの入団が決まりました。入団したシーズンに日立はプレミアリーグ昇格を果たしましたし、日本の生活にもすぐに馴染んでいきました。そうして2年目、3年目、と続いていったんです。正直、8年間というのは想像もしていませんでしたが(笑)」

長いようであっという間だった日本での8年間。そのスタートは鮮烈なものだった。入団直後のシーズンで日立リヴァーレをV・プレミアリーグ昇格へ導く。劇的な勝利を飾ったチャレンジマッチ2戦目では、アタック決定率60%という数字を叩き出した。


V・プレミア昇格決定時。一緒にチームを引っ張った江畑幸子さんと(写真:Roly Davision)

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