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インタビュー

2020-05-14 08:10 追加

カーテンコール阿部裕太・中編「サントリーへの移籍も東レへの復帰も、多くの人に迷惑をかけた。感謝の気持しかない」

V1リーグ 男子


――東レに戻ってきて、昔いた時とギャップは。

ギャップは多少ありましたね。若い選手たちが多いし。自分たちは「気合なんだーっ!」てやってたけど、今の子たちはそれだけじゃだめだし、そういうのも持ってほしいけど、ただ10個合理的なものを与えて、1つ精神論みたいな。受け入れの割合をいろいろ考えてあげないといけないかなっていう。それが昔と違うところかな。これはうちに限らずだと思うんですけどね。もしかしたら、今のそのやり方があってるのかもしれないし。昔がよかったとかそういう話じゃなくて。ギャップとしてはそうですね。

――小林敦さんはどんな人か。

小林さんは僕も代表時代から長くお付き合いさせていただいてるんですけど、ほんと頭が切れる。監督としてもそうでしたけど、今GMで、そちらが天職なんじゃないかと思います。褒め言葉でほんとに思います。監督としても長くされたので、自分もいいところを盗んだりとか。

――星野秀知主将について。

ヒデはすごくセンスがあって、サントリーから見てるときに、すごくいい選手だなって思ってましたね。顔もいいし、話してもおバカキャラなんですけど。性格もすごくいい。選手の時に飲みに行ったりとかして、マサと一緒で居心地がいいというか、気持ちが優しいんでしょうね。キャプテンという意味でも人から基本的に嫌われる選手じゃないので、もともとの人望はあると思うんですよ。リーダーシップという意味では、最初のころはおそらく探り探りだったんですけど。昨シーズンくらいからは自分がやらなきゃっていうのも見えてきたし、すごくいいと思うしどんどん成長してるから、今シーズンはさらに頼もしくなるんじゃないかと思って見てます。

――引退について。

第一段階は、東レに戻ってきてコーチ兼任でやるっていう時点で、先はだいたいそれくらいかなって頭にあったんで、それまではなかったんですけど、そういう話をもらって。
けがとかの感じとかあんまりこう体が戻りきらない…。年齢もあるんでしょうけど、自分が頭で思ってる感覚と動きが、全然リンクしなくなってきてるなってのがありました。練習量増やすとちょっと怪我したりとかで、葛藤がちょっと続いて。で、東レの話をいただいたときに、これももうタイミングなのかなと。当然それは、そこで引退するわけじゃないんですけど。自分が最後まで選手でがつがつやって、そのタイミングでいい話があればいいですけど、そうとも限らなかった。独身なら違うんでしょうけど。35くらいでそういうふうになったので、ありがたいお話として受けました。
引退を決めたのは18-19シーズンの年越しくらいかな。
指、オペしたんですけど。(アジアクラブで)ミャンマーに行って、その前くらいになんか骨折してて。リーグの序盤はもうボール触れなかったんで、ちょっと難しいなっていうのはあった。

――若いころは37までやるとは。

思ってなかったけど、長くできたらうれしいなくらいは思ってました。長くされてた先輩方もいらっしゃったので。長い人は長いですね。

――東レではないチームでまだ続けることは。

それはなかったです。

――篠田監督について。

篠さんは豪快に見えてしっかり繊細さもあり、感覚的にも優れているところがあって、よく細かいところに気が付きますね。自分の2つ先輩なんですけど、東レ時代もずっとコートで一緒にやってたし。気持ちが熱いし、篠さんの色になっていくんじゃないかなと。

選手時代はすごく勢いがある選手だったんで、そういうのは勉強になった。そういうのでどうチームが変わっていくか。チームもその魂でできてたと思うんで、それもすごく勉強になりました。

――期待する若手はいますか。

皆に期待してます。セッターだけのコーチではないんで、とはいいつつ酒井には頑張ってほしいし、自分で指導して上達させていきたい、という考えはあります。

コーチが言っちゃいけないんですけど、どんなに練習しても、選手自身が「自分がこうなりたい」とか「自分が藤井に勝ちたい」とか、気持ちで行動を起こさないと身になっていかないので、協力して自分も頑張っていくという感じですかね。

後編に続く

取材・文:中西美雁
写真:mona

プロフィール
阿部 裕太(あべ ゆうた)1981年8月8日生まれ。茨城県ひたちなか市出身。ポジションはセッター。現在はV.LEAGUE Division1の東レ・アローズコーチ。

家族の影響で、大島中学1年よりバレーボールを始める。2001年、東海大学在学中の19歳の時に全日本代表入りを果たし、同年のワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)で代表デビュー。2004年、東レ・アローズに入団。2012年6月、東レを退団しサントリーサンバーズに移籍。2017年黒鷲旗大会をもってサントリーを退団し、コーチ兼任として東レに再移籍した。2019年5月に現役引退しコーチ専任。

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