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インタビュー

2018-08-03 08:00 追加

久々の代表復帰、東レ・伏見大和「4年前のあの痺れる感覚を再び味わうために」

V1リーグ 男子 / 全日本代表 男子

挫折し、バレー止めようとも
それでも頑張った理由は

――まず、代表に再選出されるまでの東レでこの4シーズン、レギュラーをつかめかけたり、取れなかったり、また取り返したりと苦闘していたと思います。どんな4シーズンでしたか?

伏見:(東レから)お話を頂いた時に、僕の地元の静岡だったので、昔から東レを見ているのですけど、すごく競争が激しいというか、厳しいチームだなって感じていました。そしてチームに入ったんですが、正直どこか自信があったというか、ちょっとやれば出られるかなくらいの気持ちがあったと思います。それがチーム加入1年目で代表に選ばれ、やっぱり代表に選ばれた時も天狗じゃないですけど、それまでのカテゴリーでも代表に選ばれていただけに、選ばれて当然かなと生意気だった部分もありました。

 

ところが、代表シーズンが終わって東レに戻った時に、ベンチに入れない。ユニフォームすら着られない。いきなり壁が立ちはだかってショックだった。その時の反省で、翌シーズン、開幕スタメンをつかみ取り、試合に出させて頂いたんですけど、2レグのスタートくらいから、李(博)さんが僕に代わって入って、チームがすごく回り始めて、そこから連勝、連勝、連勝で気がついたら3位。なんかこう、自分の代わりに出た人が活躍して、明らかに結果が出て、チームもうまく回っていて成績がいい。そして李さんもその時代表に呼ばれて、活躍する。なんかもう、心が折れかけて、自分が出ないほうがいいっていう精神的なゾーン、技術というよりもメンタル的に挫折しかけました。

 

2015・16シーズンの時、僕は3年目で、当時の外国人のニコ(ジョルジェフ)が2年目で、富松崇彰さんも、李さんも不動。僕はユニフォームを着る、着られないの頻度が半々。(注:選手は試合でベンチ入りする場合にユニフォームを着る、ベンチ外だとユニフォームではなくジャージを一般的には着ている)でも、ミドルブロッカーの3番手でもない。まだ3番手だったら、出場できるチャンスがある。(ミドルブロッカーには)後輩の小宮(雄一郎)とか、黒木(康太郎)さんもそうだし、(高橋)健太郎もそうですけど、そういう選手がいる中で、小宮が僕に変わってユニフォームを着る機会が増えて、ちょっと本気でやめようと思いました。2年連続で挫折というか、本当にやめようかなと考えていた。

 

正直、17・18シーズンが始まってからも、開幕直前くらいまですごく調子が良くて、このままだったらまた開幕スタメンがいけるという状況だったのに、開幕前のFC東京さんとの練習試合で調子が悪くて、また李さんにスタメンを取られてしまった。開幕でスタートから富松さん、李さんが2シーズン連続でいって、僕は途中まで全然出番がなかった。ある時、富山大会くらいですかね(2017年11月25、26日)、ふと試合に出された時にすごく調子が良くて、そこで自信を掴んだというか、感覚を掴むというか、ゲーム勘が自分の中で身についた瞬間、感覚があって、もう試合に出ても怖くないと思えるようになりました。2週連続くらいで試合に出させてもらった時にそう感じました。

 

――年明け以降もですか?

伏見:年明け最初の試合で、健太郎がスタメンでいったんですけど、健太郎が良くなかったのかわからないですが、その翌週から急にたくさん出られるようになった。3レグはほとんど出て、ファイナル6も最初のパナソニック戦でボコボコにされたんですけど、その後は、豊田合成戦は富松(崇彰)さんがいって、それ以降はまた試合に出させてもらう機会を得た。でも、本当にやめようと思う機会が何度もありました。17・18シーズンもリーグの途中くらいまでずーっと思ってました。「今シーズン、結果が、チームで結果が出せなかったらやめよう」と思っていました。

 

――それでも長年へこたれずに、ここまでギリギリのところで踏みとどまって頑張れたのはなんだったんでしょうか?

伏見:でも、富山大会で試合に出させてもらわなかったら、うーん…、多分、僕は今シーズン(17・18年シーズン)もしくは…来季までモチベーションがなかったと思います。小林(敦)監督の采配に感謝したいです。小林さんは「お前が自分で掴み取ったものだから」と言ってくれたんですけど、でも、僕は偉そうなことを言える人間ではないので。出させてもらった結果、今の自分がいると思う。あそこで(試合で使うのを)やめとこうという話が出ていたら、今僕はいなかったと思います。その試合でヒーローインタビューに選ばれたのですが、なんか特別だったんです。快感というか、できた時の喜び。それまで2年くらい、試合出るのが怖いという状況というのが続いてて、そこからの脱却じゃないですけど。

続く

写真・文:大塚淳史

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