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インタビュー

2014-03-24 19:01 追加

前田和樹 がむしゃらに。

SV男子

IMG_2889-sFC東京のエース、前田和樹が3月16日のパナソニック戦を最後にコートをあとにした。NECブルーロケッツで廃部という痛手を受けたものの、移籍後の東京でも活躍し、チームの中核となった。挑み続けたエースの歩いてきた道のりとは。

――バレーを始めたいきさつからNEC時代の思い出までを教えてください。

バレーを始めたきっかけは父の影響です。父がトヨタ自動車でバレーの選手をしていて、引退後も地元に帰ってきて、クラブチームに入ってプレイしていたんです。小さいころ、試合を見に行ったおぼろげな記憶があるようなないような(笑)。
実は、僕は本当は野球がやりたかったけど父に反対されてバレーにしたんです。小学校3年か4年のころに始めました。小学校の時からアタッカーで、中学校からはサーブレシーブも始めました。いわゆるレフトのポジションです。
中学は七尾市立東部中学校で、戦績は1年生の時に全国大会に出場したくらい。あとは、北信越の県大会で3位だったかな。

黒鷲優勝はNEC時代の輝かしい思い出だ

黒鷲優勝はNEC時代の輝かしい思い出だ

NECに決めたのは、宇佐美さんとかがいて、日本人だけでも結構強いイメージがあったのと、やはり宇佐美さんならではのコンビバレーがすごく魅力的だったので。NEC時代の思い出は、黒鷲旗で優勝、準優勝できたことですかね。

――廃部の時は?

はじめは、びっくりしたというのと、本当に廃部になるわけがないだろうなという、どこかで事実だとは信じられない思いがずっとありました。廃部が決定的になったときは、これから一体どうしよう、ということをすごく悩みました。バレーをまだ続けたいなと思って、どこか移籍先を探していた時に、FC東京からお話しをいただき、チームは、V・プレミアリーグに上がったばかりだったので、そこで力になれればいいなと思って決断しました。あとは、出場できるチャンスがある方が自分にとっていいと思ったので、そのチャンスが大きそうなFC東京で頑張ろうと思いましたね。

ブルーロケッツ最後のファン感謝祭にて

ブルーロケッツ最後のファン感謝祭にて


 

 

 

 

――FC東京に実際に入った時の印象を。

みんな仕事をしながら、限られた時間の中での練習なんで、きつかったです。体もきついし、頭の切り替えをするにも、慣れるのに少し大変でした。2、3ヶ月はすごく体が重い感じがして、ほかのみんなはすごいなと思った覚えがあります。
人間関係的にチームに溶け込むのは結構早かったと思いますよ。早稲田大学の先輩とかいたんで。

――早稲田大学時代の思い出は。

早稲田のバレー部っていうのは、言われてやるバレーじゃなくて、自分らでバレーをやっていたので、楽しくバレーができていました。自分らの代の時は結果もそこそこついてきたんで、すごくよかったと思います。
同期には、地元に帰って教員になってるやつとか、クラブチームでやってるやつとかいますね。

――FC東京に移籍されてから、天皇杯で準優勝だった時がありましたね。

トーナメントは、上のチームと当たった時に、勢いで結構何とかなることがあるんですよ。それは経験で知っていたので“イケイケ”で。その代わり、序盤走られると取り返しがつかない怖さがある。FC東京というチームで結果が出せたことはよかったですね。僕自身はたいしたことはしなかったんですけど(笑)。

――昇格後、チャレンジマッチを回避できた年もありました。

あのときは、開幕からいいスタートが切れて。まだ他のチームもその年のうちのやってることを対策できてなかったんですよね。それでも、最後の方は対策されてきちゃって。確かあの年は3レグまでしかなかったんですよ。4レグまでなかったことが入れ替え戦を回避できた要因だったかなと。

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