全日本バレー、Vリーグ、大学バレー、高校バレーの最新情報をお届けするバレーボールWebマガジン|バレーボールマガジン


バレーボールマガジン>インタビュー>スポルディング×ビーチバレーボール・池田隼平「ビーチバレーの魅力はすべてのプレーができること。パリ、ロスと五輪も視野に入れて頑張りたい」

インタビュー

2022-10-03 19:08 追加

スポルディング×ビーチバレーボール・池田隼平「ビーチバレーの魅力はすべてのプレーができること。パリ、ロスと五輪も視野に入れて頑張りたい」

ビーチバレー

競技生活のスタートはインドアバレー

熊本県阿蘇市出身の池田選手がバレーボールを始めたのは中学から。小学校までは3歳上の兄の影響でサッカーをしていたが、4歳上の姉がバレーをしていたことから「何となくやってみようかな」と興味を持ったという。中学は強豪ではなかったが、中3の時、身長が188cmまで伸びていたこともあり、JOC杯(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)の熊本代表に選出された。熊本代表チームは県内の強豪・鎮西高校とも練習試合をしたことから、畑野久雄監督の目に留まり、同校に入学することになる。

高校時代は春の高校バレーで柳田選手のいた東洋高校と決勝戦を戦うなど、注目される機会が多かった。高2でユース代表にも選出され、イタリアで開催されたユース世界選手権にも出場。柳田選手や現・堺ブレイザーズの出耒田 敬選手らとともに全試合スターティングメンバーで出場した。「柳田、山田とはユースの合宿で初めて一緒にプレーしました。イタリアは人生初の海外。監督は大浦正文先生(バルセロナ五輪代表。故人)でしたが、とても厳しかったのを憶えています」

「高校時代は柳田、山田と同じ大学に行こうと話したこともありましたが、結果的に3人とも別の大学に進みました。僕は当時、黒鷲旗で今でいうV1のチームに勝ったりしていた法政大に魅力を感じて入学しました」

大学入学後は全日本ジュニアにも選出され、順風満帆な大学生活を送るかに思えたが、大学2年の終わり頃、両足を原因不明の痛みが襲う。「足の指が動かなくなり、歩くと痛いのに、いろいろな病院に行っても原因がわからないまま。選手登録はしていましたが、試合に出られないまま残りの大学生活を過ごすことになってしまいました」

大学4年の時、お台場で朝日健太郎氏(ビーチバレー北京・ロンドン五輪代表/現参議院議員)のビーチバレーの試合を観る機会があった。朝日氏は同郷で高校、大学の先輩でもあり、そのプレーや競技の楽しそうな雰囲気に惹かれ、自分もやってみたいと感じたという。

朝日氏はインドアバレーにも関わっており、新チームを立ち上げるということで、池田選手も声をかけられ、卒業後は朝日氏が所属する株式会社フォーバルに入社することになった。「バレーに復帰するためにもまずは足を治療しなければならなかったので、朝日さんが紹介してくれた先生に診てもらったところ、ようやく原因がわかったんです。両足とも中足骨の関節リウマチが原因でした。手術をして、1年間はリハビリ生活。その後、同じチームに所属しながら、やってみたいと思っていたビーチバレーの世界に入ることになりました」
名医との出逢いにより、池田選手は2年以上苦しんできた関節の症状を完治させ、再びバレーボールに復帰。そして、ビーチバレーを本格的に始めることになった。

>> インタビューのページ一覧へ戻る

同じカテゴリの最近の記事

コメント

Sorry, the comment form is closed at this time.

トラックバック