2022-06-23 07:00 追加
東京スリジエ・賀谷明日光 インタビュー「できる時間は限られている。今がバレー人生で一番良い時だから」
Others / V女子
ーーそもそものところに遡りますが、バレーを始めるきっかけは?
賀谷:父はサッカーをしていて(鹿島アントラーズなどで活躍した賀谷英司氏)、母はバレーをしていました。最初はサッカーを6年間くらいやっていたんですよ。小学生の時に。並行してバスケも5年生、6年生の2年間にやっていました。バレーはずっとやりたいと思っていたんですけど、近くにできる環境がなかったんです。父の転勤についていった時に中学校にバレー部があって。そこで始めました。
ーー女子サッカーを続けようとは思わなかった?
賀谷:背も高かったので(バレーに気持ちがあった)。サッカーも選抜に選ばれたんですけれども、その時はそういうことに挑戦するのが苦手な子で。断ったりしていました。
ーーお父さんはサッカーを続けてほしかったのでは?
賀谷:それはないと思います。父は基本、私の意志に反対はしないので。バレーをやることを認めてくれて。それならやってみたらって。
ーー以前「美人バレーボール選手」として記事になったりもしましたね。あの時はどういう心境でしたか?

賀谷:びっくりはしました(笑) 大学生の時からプレー写真を撮ってくれる人はいましたけれども、注目されていることを気にしてはいなかったですし。
ーーそうなんですね。
賀谷:はい。記事もそうですけど、入団して2年目くらいですかね。(ファンの方が作成した)Youtubeの動画とかにも自分が出ていることに気がついて。記事にはびっくりはしたんですけど、前に出ていくことが嫌いなわけではないですし、自分が発信していく中ではそれもプラスだなと思って。
ただ、それに見合う自分なのだろうかということは自問自答しました。「そうですね」と声を大にして言えるほどにはなかったので(笑)
でも、そこから「自分って注目されてるんだ」という意識は強くなって。SNSとかもそれまでは「勝ちました!」とか載せていただけでしたが、見てもらっているというのを意識して内容も変わりました。注目してもらっているなら、もっといろんなことを発信していけるなって。
ーー記事に対する抵抗感などはあった?
賀谷:いえ、全然悪い感じには捉えなかったです。内容もしっかりしていて。ただそこで終わってしまいたくはない。容姿だけとは思われたくないですし。バレーを一生懸命やってきたので、そのことをもう少しアピールしたかった。
「名前は良く出てくるけどプレーはどうなの?」と思う人もたくさんいたと思います。だからそれを出せる環境に行きたかったというのはありますね。
私の個人的な考えですけれども、見られることはプラスというか、記事とかに出してもらって良かったと思っています。いろんな人に知ってもらえるし。注目されたらその分プレーを頑張ればいい、プレーで伝えればいいと思うので。
こういうことには別の考え方があることも理解できます。でも、見てもらえる部分があるというのは、それはそれでその人の特徴というか、持ち味というか。

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