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バレーボールマガジン>インタビュー>川村慎二 パナソニックの、生命線。第3部APPENDIX編

インタビュー

2014-08-11 19:21 追加

川村慎二 パナソニックの、生命線。第3部APPENDIX編

V1リーグ 男子

IMG_3011ご両親修正済み-s川村裕治さん(父) 節子さん(母)

―川村さんに「人生を変えたきっかけはなんですか?」と聞いたら「うちの母ですかね?」と。最後にファンへのメッセージとファン以外へのメッセージを聞いた時にも、「親にバレーさせてくれてありがとうと言いたい」とおっしゃっていました。それでお話を伺いに来ました。
母:そうでしたか。28年間ずっとおっかけしてました(笑)。楽しませてもらいました。子供のおかげで。

―バレーを始めたきっかけを川村さんにも伺ったのですが、僕はかなりやんちゃだったとおっしゃっていました。今のイメージでは想像つかない感じですが。
母:(笑)本当にバレーで変わりました。ちっさい時はやんちゃなのは当たり前やけど、それにしてもね…。2つ上の兄がいましたので兄が知能犯で、慎二が実行犯みたいな形で二人はもういろんな悪い事してました。このままやったらどうしようもないなって、親の方も音をあげそうになってましたので、ちょうどそのころ男子バレーのクラブを先生が小学校で作られたんです。先生、ボール拾いで良いから、うちのもやらせてくださいってお願いして。

―お母様もバレーをやってらしたとか。
母:私はママさんバレーで1・2・3の、そんなバレーしてたんですけど。それとはあんまり関係なくて、本当にたまたま、それまで女子のチームだったのが男子も作ってくださって。別になんでも良かったんですけど(笑)。

―そうなんですか?
母:はい、別になんでも良かったんやけど、たまたまバレーにご縁があって、先生も良いよって言ってくださって。私らはよう行ってるもんやと思ってたら実は本人何カ月か行ってなくて。

―さぼっていた?
母:そうなんです。上の子らが誘いに来てくれてそれから行くようになって、身長もひとつ上の子らと劣らない程ありましたし、先生もいろいろ使っても下さって。そこから今に至っているような感じですね。

―本人は中学は強豪校に行くのはやめようと思ってたけど、知らない間に引っ越し準備が始まっていたと。
母:(笑)いや、それは本人にちゃんと…。
父:本人が行くと言うから頼んますぅ言うてなぁ。
母:ひとつ上の子がね、先に菟田野中に行ってたんです。そういう話をちょうど徳田先生という指導の先生がして下さったときに、「行くか?」と聞いたら、結局3人行ったんですけど、「1人でも行くか?」と聞いたら「行く」と言うたんです。だから無理やりじゃないです(笑)。
父:たぶんウチの子が一番に行くと言うたような気がします。

―てれ隠しなんですかね?
母:どういう風に記憶してるかしらないけど。でも向こう行ってからもいろいろ悪い事してたみたいですけど(笑)。
父:向こうの中学の風土を変えたと言う(笑)。それはそれなりに向こうの先生は喜んでくれはったけどね。小学校、中学校、高校、大学、実業団とずーっとええ指導者に恵まれていた。それはもう有難いことです。本人はホンマはどう思っていたかしらないけど、知らない間に線路がしかれていたというのはあるかなぁと。ホンマにえぇ指導者ばっかりで有難いなと思います。
母:本当にあの子は指導者に恵まれてたと思いますわ。
父:こないだ小学校の徳田先生と一杯飲む機会があって「僕は一言も菟田野中学へ行けとは言うてない」言うて「え? ホンマ?!」て(笑)、「結局本人がそう決めはった。まるで僕が言うたようなことになってますけどね」って徳田先生が笑いながら言うてはった。
母:この道を作ってくれはったのはこの監督やったし。そういうところ(菟田野中学という強豪校)がある事すら解らなかったから。中学で全国優勝したことがあるからっていうのは先生の情報でしたね。
父:小学校バレーは近畿管区はものすごい交流があって、僕らもいまだに和歌山や奈良の先生とお付き合いしてもろうてんのやけど、菟田野中学は練習試合かなんかが来た時に、いっぺん見せに行かせて、それで菟田野中学の3つ上の慎二が入る時に卒業する先輩からシャツもろうて喜んでたとか、そんなんがあったんで、たぶんその辺から菟田野中学に憧れてたんじゃないかな? それと地元の八幡の中学にはバレーボール部が無かった。そのまま地元の中学に行っていたら、バレーせんとバイクに乗って「ブンブン!」て間違いなくなっていましたね。

―そんなだったんですか?! すごく、すごく意外です。
母:だからいま、ものすごく親から見ても真面目というかね。それが信じられない(笑)。

―今日、大分川村さんのイメージ変わりました。
母:ほんまバレーのおかげです。本人もバレーのおかげと常に言ってますし。

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