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インタビュー

2014-08-11 19:21 追加

川村慎二 パナソニックの、生命線。第3部APPENDIX編

V1リーグ 男子

140506_1380coverkouho―中学校で親元を離れるというのはなかなか寂しかったのでは?
父:うーんそれはそうだと思いますね。僕は。
母:そう思ったらね、たった12年間しか親元にいなかったというのもあるし、それは親としても罪の意識のようなものを感じたこともあります。あとになって可哀そうな事したかなというのもあるんやけど、でも本当に嫌ならリタイヤしたでしょうけど、なんとか食らいついてくれたのは、親から見て褒めてやりたいというのはあるんです。
父:それと中学校・高校とずっとエースではなくてエース対角でやっていたから、吉田くんが上にいたからね。そんなんもあったんかなやぱっり。だから我慢して負けんとこと思うたんがあったんちゃうかなと親は思うてんのやけど。本人はあまりそういう事言わないから。まぁ頑張ってくれたかなと。

―松下(当時)入社のときはなにか相談とかされたんですか?
母:いや、もう本人が決めてました。他にオファーもあったんやけど。
父:藤田(幸光)さんが来てくれはった、あんとき監督やったかな? 滋賀県の出身やいうて交流があったのと、たぶん中学の先生に相談してると思う。あとはやっぱり高校の先生の言わはる事をきくみたいです。もう1つは同じ大学出身で南部さんがいた、もう1つは新日鉄の植田さん。植田さんの方が厳しいって大学当時はしょっちゅう言うとった、実際には南部さんの方がきつかった(笑)。パナに入ってから言うてました。

―監督になると聞かれた時はびっくりされましたか?
母:びっくりしましたよ。
父:びっくりしたねぇ。
母:いきなり「辞めるわ」て、もうあと2、3年頑張るわて言うてたのに。
父:そうそう、お正月には言うてた。
母:「辞めるわて、辞めて何するの?」て思わず言ったら。
父:「監督になんのや」て。順番から行くとね、コーチして、それから監督、って思うやないですか。
母:一番に大変だなというのは、南部さんはあれだけ良い成績を残してくださったし。

―常勝チームですよね。
母:ええ、それでちょっとでも成績が下がったらすぐクビになる(笑)。

―そんなことはないと思いますけど、プレッシャーはありますよね。現役時代は応援に行っていましたか?
母:もうずっと行っていました。
父:行ってましたね、ほとんど必ず。
母:そのおかげでいろんな所行きましたし、いろんなお知り合いもできたし。いまだにお付き合いしてる方も。本当にありがたいと思ってます。小学校のときは主人は全然だったんです。後援会の会長さんが1度来てと言うてくださって、そこから病みつきになってますけど。
父:僕らも子供のころからスポーツやってたけど、子供がやってるのに親があんまり口出しすべきではないし、あんまりちやほやするより指導者に任せておいた方がええていうのが僕の考え方だったやったから、そんなちょろちょろ行くのもなんかなと思うてました。ただ肝心な試合は行ってたな。全国大会とかは応援に行ったりとかして。6年になってからは会長からだったししゃあない。それからやね、親同士の付き合い。一杯飲みで仲良うなったというか。
母:そっちのほうか(笑)。

―中学では全国優勝されて。
父:そうですね、中学ではすごかったですね。全国優勝したときは1セットも落とさず。だから負けるいう気がしなかった。セットを落とすなんてことも考えられなかった。

―勝つのが当たり前みたいな?
父:そうそう。あれは凄かったですね。中学の時はホンマにオーソドックスバレーで、3年の時に初めてちょっとだけ速攻いれて、あとは全部オープンバレーで。指導者がそういう方針だったんで。中学の時にあまり小細工覚えさせたらおおきならへんと。地道な教えですね。うちの方は小学校もそうやったんです。今はもう先生も慣れてきていっぱい速攻とかさせてますけど。その当時は受けて上げて打つと。
母:基本をきっちり叩き込まれたのが中学やな。バレーの面白味も出来てたんじゃないかなと。それまではいつ逃走しよか、クラブから脱走しよか、そういうんがあったみたいだけど。

―お菓子目当てで行ってたとおっしゃってましたよ(笑)。
母:そうやろな(笑)。でもあの時分の環境は今と違ってもうしごきが凄かったから、親も見て見ぬふりしてましたけど。
父:そやけど今日勝ったらビフテキや~とか。
母:そうやね、フォローもあったから。
父:中学の時けっこう僕も菟田野まで行って運転して、マイクロバス借りてよく行きましたわ。で、「今日勝ったらビフテキ!」って先生が。親はもうひたすら金を出すだけ(笑)。

―そういう厳しい先生でも、優れた指導者の方って必ずフォローもしてくれますよね。
母:そうですね。いまだに最終的に決断下してもらう相談相手というのは中学の先生。今のこの監督の話も菟田野の先生に相談してるし、親よりもずっと。
父:親に言ってきた時はもう決まっとった。
母:よく帰って来るのもまず菟田野へ帰るわと言って、向こうへ帰ってそいでついでにこっちへ帰ってくる。

―両方故郷という感じ?
母:そうなんです。いまだにやっぱりあたたかく迎えてもらえるし。

―子供時代のエピソードってありますか?
母:エピソード…まぁさっきも言いましたように(笑)。
父:悪い事したのだったらいっぱいありますよ。
母:帰ってくるたんびにね、前の事を言うのね。あの時こうやったああやった、びっくりする事聞きますよ。もう時効やて言うけど。
父:パナ入ってからやな、大学の時はあまり帰ってこなかった
母:まさかというようなことをね。
父:中学にうちから3人行ったんですよ。3人が3人ともやっぱりおんなじこと言って、ホンマにそうなんやと。

―想像がつかないですね…。
母:よう子供て、小さい時にやんちゃする子は大きくなったら落ちつくと言うけどそのままの地をいったみたいな感じで(笑)。どこまでがホンマに真面目なんか、なんかわからんけど。

―松下に入ってからしか存じ上げないのですが、入社当時から真面目そうに見えました。
父:もともとポーカーフェイスで真面目そうに見せとるけど、あんまり喜怒哀楽をみせない。人前では。
母:高校からのバレーがとりあえず、決まっても大きな喜びのポーズ取ったりとかしたらアカンていうて。みんながポーカーフェイス的な。見てる方からするともっと声だしいよ、喜びいよと思うんやけどなんかそういう事あまりしたらアカンていう感じでね。
父:勝つのもぽろぽろって勝って、負けるのでもぽろぽろと負けて、「わー」っていうのはあんまりなかった。中学の時、高校の時は親が割と「わー」って言ってたけど大学は大人しくしてました。
母:応援でも大きい声だしたらアカンいう感じで。

―そうっと応援してる感じで?
母:そうそうそう。無言でただ手を叩くみたいな。
父:中学の時は大商大高校と練習させてもらってたし、高校は大学としょっちゅうね。そういう道が決まっていたような気がしますね。すごいレベルアップしてたな。

―パナソニックという常勝チームのスタメンをキープするのはなかなか厳しかったでしょうけど、スーパーサブ的な役割を果たされて来たと思うんですが、試合とかご覧になっていかがですか?
母:みなさんが上手に言ってくださるから。慎二が入るとイメージが変わるとか、その時のリズムが変わってくるとか言って下さると、そうかなと。親も安心してるんですけどね。本人はやっぱりとりあえずバレーが好き、コートに入っていたいというその思い。できたら全日本にと。一回植田さんに呼んでいただいたときは怪我して手術が決まっていたし、まあ、それがあの子の運命やったんですね。この年になっても、あと2、3年頑張るんやて言うくらい、バレ―漬けでバレーが大好き。
父:だから本人も自慢してた。菟田野中学時代からずっとレシーブを100%とるのやと。これ以上もう背が伸びひんから、それが僕の武器や言うてた。僕らも試合見に行っていたら彼が入ると、やっぱりサーブレシーブが6割から7割はカットできるという、ちょっと安心してた。で、たまに失敗しよる。反対に親としたらドキドキ。ピンサでもね、出て失敗しよるんやないかと思うねんけど。それなりこなしてましたよね。本人は、たとえば交代で入ったりしたら、結構まわせまわせ打たせ、言うてたみたい。自信があるのか(笑)。

―この記事のために南部さんや清水選手、永野選手に談話を聞いてるんですけど、やはり、入ると必ず仕事をしてくれると。
父:南部さんはよう使うてくれたと思いますわ。南部さんもずーっと全日本でもそういう立場で出てはった。おんなじ事していただいてんなあと思って。親の贔屓目で見てたからあれですけど、まあまあ、そこそこしとったんちゃうかなとは思ってました。 で、キャプテンも1回はずれてまた復活したというのも、南部さんが見ててくれはるのかなと。だけど僕らは私的な事あんまり見てわからへんし。試合しか見てへんから。家帰ってきてもしゃべらんと飲んでるだけやし。だから、細かいことはようわからへんねんけど。上手に南部さんが使うてくれはったんかなと思ってます。 kawamurasanpapamamaIMG_3024

―現役を終えた今、バレ―人生一段落だと思うんですけど、そんな彼に照れ臭いかもしれませんがメッセージをお願いします。
母:さっきも言いましたように楽しませてもらって、本当に親としても感謝しています。あの子のおかげで、喜怒哀楽が豊かになりました。この歳になって感情を表に出すっていう事なんてあんまり出来なかったけど、喜びやら悔しさやらいっぱい味あわせてもらって、本当にもう感謝しています。
父:えっ僕もですか? 僕ね、監督になると一報もろた時に、しんどいなあて言うたんです。たぶんしんどいやろけどあんまり背伸びせんと、って。出来ることしか出来ひんのです。抱えるなと。誰かパートナーを作って頑張れるだけ頑張りやあって電話で。なった以上は頑張ってほしいですね。

聞き手:中西美雁
写真:Michi Ishijima、Miyuki、坂本清、FIVB
編集補助:横幕祐美

第1部ノンフィクション編
第2部インタビュー編

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