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インタビュー

2017-11-14 12:00 追加

冨永こよみ(上尾メディックス)「現役はできるだけ長く続けたい。将来、ママアスリートになることも考えています」(後編)

冨永こよみ選手インタビュー(後編)

SV女子 / 全日本代表 女子

 冨永こよみ選手インタビュー。後編では、セッターというポジションの難しさや、オフタイムのこと、思い描いている将来の選手像についてもお話を聞いた。

セッターというポジションについて

――2009年にもグラチャンに出場されていますが、その時の正セッターが竹下佳江さん(現・ヴィクトリーナ姫路監督)ですよね。竹下さんから学んだことはありますか?

冨永:たくさんあります。トスも全然ブレないですし、私生活の部分でもきちんとされていますし…。練習の前に自分で走ってアップとか、ベテランでも自主練を欠かさないなど、やるべきことをしっかりされている方でした。私はその年にセッターに転向して、全日本に選ばれましたが、試合には全然出ていなかったので、洗濯などの仕事はちゃんとやらなきゃと思いながらやっていたんですけど、テン(竹下)さんはそれを見ていてくれたんです。全日本が解散する時にテンさんが私のことを「嫌な顔もせずに洗濯とか全部やってくれていたし…」みたいにみんなの前で言ってくれて。そんなところまで見てくれているんだな、そういう人にはみんなついていくだろうなと感じましたね。

――今年のグラチャンでは竹下さんが解説を担当されていましたが、何か話はしましたか?
冨永:少しだけ、「今の課題はどういうところ?」とか、話しかけてくれました。あまり時間もなかったので、ゆっくりは話せませんでしたが。

――さらに遡りますが、冨永選手は中高6年間、下北沢成徳に通っていたということですが、中学に入学された時には木村沙織選手は高校生?
冨永:そうです。同じ学校にいても「テレビに出てる人だ」という感じでしたね(笑)

――下北沢成徳といえば、小川良樹先生の指導法がよく話題になりますが、小川先生について、どんなことが印象に残っていますか?
冨永:自分で考えるバレーであるということと、バレーだけじゃなくて、授業などの生活全般を大事にするように教えられました。

――中高時代は自宅通学ですか?
冨永:そうですね。地方から来た選手以外は電車で通っていました。

――卒業後はパイオニアに入団(2014年、廃部に伴い上尾に移籍)されましたが、2年目にセッターに転向となり、いちばん苦労されたのはどんなところですか?
冨永:競技が違うくらい全然違うことをするので…。技術も難しいですし、アタッカーの時は決まったら喜ぶし、決まらなければ悔しいしというのを表に出すタイプでしたが、セッターはそうではなく、冷静にいろいろなことを見なければならないし、調子の悪い選手を盛り上げていかなければならないポジションなんですね。だから、感情を押し殺すのですが、それがすごく大変でした。

――よく中田久美監督や竹下佳江さんの現役時代にコートを離れても、食事の時などにアタッカーをずっと観察していたというエピソードを聞きますが、そういったことも心がけていますか?
冨永:コートの外でもきちんとしているとか、バレーに対して熱い思いがある選手に最後はトスを上げたいですし、見ている部分はあると思います。

――セッターの選手はコートを離れていても、選手の調子の良し悪しがわかるものなのでしょうか?
冨永:そうですね。食事中なら食欲がないとか、今日は元気がないなとかいうのは何となく…。

――コートの外も含めて観察して、その日調子がよさそうな選手をどんどん使っていく感じ?
冨永:でも、私は久美さんやテンさんほどわかるわけではないので…。コートに入ってみると、意外にいい動きをすることもありますし(笑)

――もともとセッターに転向したきっかけはチーム事情によるものでしたよね?
冨永:1年目はアタッカーだったのですが、その時にいたセッターが全員やめてしまったんです。それで、私がセッターをすることに…。

――レシーブの得意な選手がセッターに向いていると聞きますが、レシーブは好きでしたか?
冨永:あまり好きではないです。今も(笑)

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