2018-06-12 12:00 追加
カーテンコール 竹田沙希さん 「今はやりきったという気持ちで後悔はありません」(前編)
SV女子
──最初から数えると、バレーボールを始めて何年になりますか。
竹田さん:始めたのは小学校3年、9歳からなので、丸20年です。Vリーグは丸7年。もっと長くやられている方がいらっしゃるので自分などはまだ……でも思い返せば、20年一つのことをやってきたんだなって思います。ありがたいなと思います。
──引退しようと決めたのはいつぐらいでしたか。
竹田さん:昨シーズン(2017/18年)が始まる前に、面談をさせていただいたときに「今シーズンで辞めるつもりでこの1年やらせてください」と麻子さん(多治見監督)に話しました。腰の状態がよくなかったので、自分でも無理なのかなと思っていた部分があったんですが、麻子さんに「もう一回、自分らしくプレーして終わるべきだと思う」と言われて、自分でも「残って残って」って言われて、自分の意志じゃない残り方をしたくなかったので、自分がプレーしてチームのために行動できて終わる形が自分らしいと思ったので、それをやりきって終わればいいと思って、スタート時にそう決めました。
──その面談で、多治見監督が、「サキはスパイカーなんだから、ちゃんと打って終わろう」と話されたそうですね。
竹田さん:はい、そうです。最初は、もういいよと思っていたこともあって、プレーできなかった前のシーズンが自分としてしんどかったので、もしかしたらまた跳べないかもしれないし、やってみないとできるかわからなかったので、同じ状況がもう1年続くくらいだったら辞めさせてほしいという思いは強かったです。ただ、レシーブまでやれるようにはなったけど、スパイクが打てなかったのでやっぱり心残りはありました。
麻子さんに「サキはスパイクを打って辞めるほうがいい」と言ってもらえて、自分のことをちゃんと見て考えてくださっているというのがすごくうれしかったし、チームのためというよりは自分のために頑張ってほしいと言っていただいたのは、すごく大きかったです。それでもう1年やろうと。
──プレーする上でやっぱり腰はたいへんだったですよね。
竹田さん:はい。最初にヘルニアを発症したのは1年目のリーグ中で、2012年かな。そのときに手術して1年目は痛いなと思っていたんですが、その後は痛みもなく、どちらかというと足の裏の方が痛くて2、3年それをひきづってという感じだったのですが、また(腰で)急に動けなくなって自分でもびっくりして、原因もわからない……と。ずっとけがをしている感じでしたね。自分の問題なんですけど。
──いえいえ、あれだけ動いてあれだけ頑張れば……。けがのたび、どういう思いで頑張ってきたのですか。
竹田さん:けがしてもやれることはあるし、自分がやらなきゃチームは止まってしまうからと思っていました。痛みはある、痛い、でも、それよりも負けたりバレーができなくなることがしんどかったから。リハビリが長かった時期もありましたが、仲間とバレーして喜んでいるところが私のピークだからそこだけは忘れないように、それをやりたいという気持ちが強かったから頑張れたのかなと思います。そこに戻りたくて、練習を一緒にやりたくて、その思いでした。

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